内なる異性

2008年10月 7日 (火)

内なる異性(1)

 以下は和尚への質問者がどうすれば外側の女性の助けを得て、内側の女性と一体化できるのでしょうか?」と問うたところです。質問者は男性ということで、男性はそのまま、女性は「女性」というところを「男性」と置き換えて読み進めていってください。

 "どうすれば"と考えてはいけない。愛が在るなら、愛は起こる。愛は"どうすれば"ではない。愛はノウハウではない。理由を一切持たずに、ただ愛しなさい。敬意をもって、畏敬の念をもって、ただ、愛しなさい。ただ愛しなさい。

相手に肉体ではなく魂を見て、思考ではなく、無心を見て、相手に無心を見られれば、内側の女性を見つけるのはとても簡単だ。そのとき外側の女性は媒体に過ぎない。外側の女性を通し、外側の女性を経由し、あなたは内側の女性に振り戻される。けれども、相手の外側の女性が肉体にすぎなければ、あなたは遮られる。相手の女性がまさに魂、空、零(ゼロ)、抜け道であれば、あなたを遮るものはない。あなたのエネルギーは後戻りして内側に入り込み、自分自身の内側の女性を見いだす。

 各々の女性や男性が、内なる女性、内なる男性を見い出す外側からの助けとなれる。だが、それに"どうすれば"は一切ない。敬意が必要だ。相手の神聖さという見地から考慮しなさい。瞑想しなさい。相手は神性なるものだ。その姿勢を行き渡らせなさい。その気候を自分のまわりに取り巻かせなさい。それは起こりつつある! すでにその途中だ。 

前著「タントラの変容:和尚」市民出版社

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2008年10月 4日 (土)

男と女(5)

 人はだれでも自分の中に、異性の側面を持っている。これは、C.Gユングが「内なる異性」について、男性のそれをアニマ、女性のそれをアニムスという言葉で表しています。

しかし、その起源は道家の修行法の書「太乙金華宗旨」にあり、それに基づいてユングは解説書を書いています。同様に和尚も「黄金の華の秘密:めるくまーる社」でアニマ、アニムスについて説明しています。

アニムスとは男性原理、アニマとは女性原理、この双方がひとりの人間のなかに存在し、肉体としての性では顕われない異性の側面が影として心の深層に残されるというのがユングの解釈です。

もともとは人間には男性女性の両方の側面を持っており、これを瞑想によって全一な総合体としての意識に高めることが本来の道であるというわけです。私たちが外側の異性に惹かれるのは、無意識に追いやられている内なる異性を呼び覚ますためのきっかけに過ぎません。そのきっかけを通して、人は自分の内の異性を統合していくというのです。

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2008年8月14日 (木)

男と女(4)

「英知の辞典:和尚」(めるくまーる社)より

 女性には大きな抵抗力があり、大きな忍耐力がある。女性のほうがバランスがとれている。生理学的に、化学的に、女性のほうがもっとバランスがとれている。女性のほうが美しく見えるのはそのためだ。彼女の美しさは生理学的なバランスに根がある。

 男性には内なる不均衡があり、そのために凶暴になりやすいし、いともたやすく精神に変調をきたす。どんな女性でもいともたやすく男性を狂わせることができる。

 結婚していない女性たちのほうが気楽にやっている。政治的に経済的に妨げられさえしなかったら、彼女たちは結婚しないでいたい、ぜひそうしたいと思っただろう。

‥たとえ母親になりたいと思っても、彼女たちは結婚しないで母親になりたいと思っただろう。確かに女性には母親になりたいという大きな欲求があるが、妻になる大きな必要はない。

 男性が必要とするのはより生理的なものだ。女性が必要とするのはより心理的なものだ。だから結婚で女性はいつも搾取されているように感じる。そして彼女の感じていることは真実だ。なぜなら、男性の興味は性的なものだが、女性の興味ははるかに全一なものだからだ。

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2008年7月 1日 (火)

男と女(3)

「英知の辞典」和尚:めるくまーる社を紹介します。

これは和尚のエッセンスが詰まった本です。和尚を初めて読まれる方には特にお勧めできる本です。その中から少し‥

英知の辞典

例えば、男性は女性よりも肉体的であり、男性は女性より外交的だ。女性のほうがより、心理的であり、内向的だ。

男性たちは結婚をしたほうが幸せになるが、それは結婚をしていないと、彼らはただ孤独にしか感じないからだ。結婚していれば、たとえその結婚が惨めなものであっても、まだ孤独でいるよりはましだ。少なくともそこにはあなたの心をふさいでおく何かがある。男性は内側に入らなくていいように、目を開けたままでいられるように、いつも外側の何かで心をふさいでいたい。

 女性はそれほど外側のことには興味がないので、結婚をしていないときには、孤独というよりは、自分が一人であるのを感じる。そして女性はもっと自律的なので、自分の独りあることを男性よりももっと楽しむことができるー 女性はある意味でもっと利己的だ。私はこの言葉をきわめて肯定的な意味で使っているー 女性は利己的であり、自己中心的だ。男性は他社中心であり、彼はいつも他人のことを考えている。女性はもっと自分のことを考える。せいぜい近所のことに興味を持っているぐらいのものだ。

男性は女性のおかげで彼は地に足を着けていることができる。女性は大いに地上的であり、地に着いている。世界のすべての神話のなかで、女性は大地を象徴してきた。女性は彼に大地に降ろす根を与える。さもなければ、女性たちがいなければ、彼は大地を失い、根を失い、宙ぶらりんになっている。女性は彼に帰る場所を与え、女性は彼の我が家になる。女性がいなければ、彼は宿なし、放浪者、流木だ。‥‥ 女性は暖かみを与え、生を与え、彼をくつろがせ、彼がひとつにまとまっているのを助ける。

だが、女性は結婚するより、独りでいるほうがもっと幸せになることができる。それは女性が男性なしでも自分を根付かせることができるからだ。男性は女性にとってそれほど必要な存在ではない。女性のほうが男性よりももっと自立することができるー 女性のほうがもっと自立している。

女性のほうが自立の力を備えているので、男性はいつの時代にも女性を他のやり方で依存させてきたー 経済的に、社会的に。自然な状態では女性のほうが自立する力を備えているので、それが男性と彼のエゴを傷つける。

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2008年6月21日 (土)

男と女(2)

受動性と能動性

生物学的な身体構造の違いから、女性は受動的であり、男性は能動的であるということが言える。

女性的な精神は、受動的であるために、いつまでも「私待つわー」と言えるし、実際にいつまでも待っていられる。ものごとが起こるままに任せるためにそれは無気力や怠惰な状態を惹き起こしかねない。彼がやってくることを、そのうち私のほうにやってくるわと呑気に構えているのが好ましくない受動性なのだという。

好ましい受動性とは、注意深く、意識を研ぎ澄ませながら待つということ。彼が来るのを今か今かと目を戸口に釘づけになり、耳をとぎ澄ませて待っている状態をいう。そのときの彼女は生き生きしている・

男性的な精神は散乱であり能動的だという。男性の精神は絶えず周囲に気をそらしている。例えば彼はこの女、あの女と恋人を次々に変えてゆくが真実の愛に触れることは決してない。心から身をゆだね合うことがなく、表面的な付き合いで終わる。せいぜい肉体と肉体の性的なふれあいにとどまっている。

これを好ましい方向に向けると集中した活動、一心不乱な活動に集中するのだという。

女性的な精神は一人の男で満足し、どこまでも一途に掘り下げてゆく。そのため、一人の男性に時間をかけてまごころに触れ、魂にふれてゆくのである。女性的な精神には待つという質がそなわっているため時間をかけて相手と理解しあってゆくのである。

これを一人の人間が両性の精神の良い側面を取り込んだらこういうことになる。

前著:黄金の華の秘密より

「活動的になりすぎてはいけないし、怠惰になりすぎてもいけない。穏やかに活動し、いきいきとくつろぎなさい。中間にとどまるがいい。あなたの行為には待つという質がそなわらなければならないし、あなたの待機には活動の質がそなわらなければならない」

周りの異性から学ぶことは、そこから自分の内面にある異性を引き出すきっかけになるということ。そして、相手を変えるのではなく、自分が変わっていくことでひとは進化を遂げていく。

いいかね、そこには二つの出会いがある。最初の出会いはあなたの内側にいる男と女の出会いであり、第二の最終的な出会いは、全一で円満な人間としてのあなたと<全体>との出会い、究極の出会いだ。それは永遠のものだ。ひとたびそれが起これば、あなたは死を超える。それが元に戻ることはありえない」

永遠の生の道のりは果てしない。

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2008年5月31日 (土)

男と女(1)

男と女は生物の性として相容れない、と同時に相補的である。

お互いにないものを持っているから、それに惹かれるのである。しばしば脳梁の太さの違うことから、考え方、感じ方にそれぞれの性に特有のものがあるのだといえる。ということは、生まれ変わりの生を思う時、それぞれの性の選択で、学ぶことがかなり違ってくるということでもある。今生とは違う生を生きることでひとは人間についてのトータルな学びを得るのであろうか。この双方の性をどれだけ経験しているかで、今生は男なのに女性的だったり、女性なのに男っぽかったりする。

また、ひとは、自分のなりたいものに遅かれなってゆく。

いま憧れの人がいたら、次の生はそのイメージにより近くなった自分になっている確率が高い。もっとも、個人的な生まれ変わりがあるというより、集合的魂の生まれ変わりのなかで、個人的な一度限りの意識が生を受けるという見方が多勢ではあるが‥。

 経験を積んだ魂は、生まれ変わりによって得た自分の中の男性性、女性性のイメージを統合し、より意識領域を拡大させていく。いきつくところは両性具有だ。経験を積んだ魂は、現世において、自分に相応しい異性の恋人をみつけることがより難しくなってくる。それは自分がより両性のこころをともに内面化させていることの証でもある。それだけ自分が成熟したのだと思えば良いし、こころが寂しければまだ内面化がそれほど進んでいないものと思わざるを得ない。

ひとは異性に惹かれ、異性を通して、自分の中の異性像をより意識化することにより、おのれの魂の裾野を拡げているということだ。しかし、その道のりは遠い。

霊的な成長を考えるとき、いわゆる男性原理と女性原理がそれぞれの性にどのように影響しているのか理解することは大事なことである。なぜなら、自らの性の原理に翻弄されて多くのひとは人生をより動物的に生きているからである。性はその動物性を人間生活を通して神へと昇華させるのがおおいなる目的なのであるから‥。

では男性原理とか女性原理について、次に考えてみたい。

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