内なる異性(1)
以下は和尚への質問者が「どうすれば外側の女性の助けを得て、内側の女性と一体化できるのでしょうか?」と問うたところです。質問者は男性ということで、男性はそのまま、女性は「女性」というところを「男性」と置き換えて読み進めていってください。
"どうすれば"と考えてはいけない。愛が在るなら、愛は起こる。愛は"どうすれば"ではない。愛はノウハウではない。理由を一切持たずに、ただ愛しなさい。敬意をもって、畏敬の念をもって、ただ、愛しなさい。ただ愛しなさい。
相手に肉体ではなく魂を見て、思考ではなく、無心を見て、相手に無心を見られれば、内側の女性を見つけるのはとても簡単だ。そのとき外側の女性は媒体に過ぎない。外側の女性を通し、外側の女性を経由し、あなたは内側の女性に振り戻される。けれども、相手の外側の女性が肉体にすぎなければ、あなたは遮られる。相手の女性がまさに魂、空、零(ゼロ)、抜け道であれば、あなたを遮るものはない。あなたのエネルギーは後戻りして内側に入り込み、自分自身の内側の女性を見いだす。
各々の女性や男性が、内なる女性、内なる男性を見い出す外側からの助けとなれる。だが、それに"どうすれば"は一切ない。敬意が必要だ。相手の神聖さという見地から考慮しなさい。瞑想しなさい。相手は神性なるものだ。その姿勢を行き渡らせなさい。その気候を自分のまわりに取り巻かせなさい。それは起こりつつある! すでにその途中だ。
前著「タントラの変容:和尚」市民出版社
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