2009年10月14日 (水)

大空への旅路(7)

大空への旅路(7)

ひとは、自身が

空っぽのスクリーンに至るまでは

誰もが自分の足で

歩まなければならないという

厳しい現実に突きつけられている

近道はない

だからこそ、

疲れたら

ふと立ち止まって

そらを見上げよう

雲のずっと奥底に

自分の帰るべき場所がある

本来のあなたが

いつもそこにいる

そらをみて

自分の内なる大空を思い起こそう

和尚は云う

「雲ひとつない内なる空から眺めると、

世界は隅々まで神性の光に満ちている」

太字「シャワリング ウイズアウト クラウズ:OSHO市民出版社」より

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2009年10月10日 (土)

大空への旅路(6)

問題はあなたの捉え方だ。

澄んだ目、空っぽの思考、そして空っぽの形こそが、

形なきものと関わることができる。

形なきもの、その暗喩として

大空がある。大空は形などない

そこには執着するなにものもない。

わたしたちは光と影の織りなすこの世界で

マインドと思考の共同作業によって

楽しいことも幸せなことも味わってきたが、

同時にふしあわせなこと、つらいことや悲しいことも

たくさん作ってきた。

それは形あるこの世界にいる限り

仕方のないことであると

私はそう思うまでに

かなりの時間を要した。

この世界は光と影の織りなす遊びの世界

それに惑わされて、それに深刻になり

それに執着し、変わっていくものに対して

変わらないで欲しいと、苦しみばかりをつくってきた。

この世界は絶えず

移り変わっていく世界。

そのことを忘れかけたとき

不幸の始まりがある。

だから、大空に恋焦がれるのは

いいことだ。

正確には大空に恋焦がれるのではなく

大空という自分自身の生まれ故郷に

深い憧憬と、感謝を抱きながら

大空に祈りをささげようという気持ちになる。

もう一度いわせてもらおう。

大空は私たちの生まれ故郷であり、

永遠の泉なのだ。

それは幾多の雲を作りだし、そして消滅していく

ひとつのフィールド、

和尚によれば空っぽのスクリーンだ。

太字「シャワリング ウイズアウト クラウズ:OSHO市民出版社」より

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2009年10月 3日 (土)

大空への旅路(5)

 思考活動は自分を盲目にする。

空に浮かぶ雲の形や色があまりにもきれいなものだから、

それを写真に撮り忘れて、その雲にまたもう一度出会いたいと思う。

けれど、その形の雲は二度とやってこなかった。

その雲の光景が世界に現れるものも同様に一度きりである。

あなたの個性、あなたの顔かたち、その雰囲気までが

ぴったりというような人は二度と生まれることがない。

だからこそ、この世界で学ぶ大切なことのひとつに

それぞれみんな、一度きりの体験を積んできているということなのだ。

だから、毎日が同じではないし、

毎日起きることも、決して同じことの繰り返しでもない。

そのことを忘れて、私たちは、日々の決められた習慣や

スケジュールに追われて生きている。

その思考パターンも同じに凝り固まってしまっている。

毎日の繰り返しの生活パターンの中では

違うものの見方ができなくなってきているのだ。

それも思考

和尚は思考を落としなさいと云っている。

私たちの思考が俗世間をつくっていると

言い切ってもいいのではないだろうか。

思考活動はあなたを盲目にしてきた。

何かに対する執着も

思考活動の結果に他ならなかった。

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2009年9月26日 (土)

大空への旅路(4)

お金であろうと、異性であろうと、権力であろうと

それが何であろうと、あなたがそれに価値を与える。

その内側の思考が続く限り、本当の自分はみえてこない。

本当の自分とは何か?

それは女性の覚者サハジョの云う

「沈黙と雲ひとつない内なる空」

俗世間は自分の思考活動から成っており

それは、宝石に価値を与えるのが人間だということ

他の動物は宝石に貴重な何かを感じたりするだろうか?

骨董品に値打ちがあるのは、それに自分が貴重であると賛同するからに

他ならない。

けれどそれが自分の欲求の一時的な満足を得られるかもしれないが、

それが自分の永遠の生を約束してくれるわけでは決してない。

本当に価値のあるものとは何か?

それは永遠性の付与されたものであり、

過去、現在、未来に関係なく

変わらなく、存在し続けるものではないだろうか?

何をばかなことをとあなたは思うだろうか?

それまでに自分が大切にしてきた友人や恋人が

ある日突然いなくなってしまったら

あなたは、この俗世界に、虚しさを感じたりはしないのだろうか?

ひとは、自分が計画した通りの死を迎えることはまれである。

明日、自分が死ぬかもわからない、そんな不安をわきに置いて

毎日を生活している。

そんなあいまいな世界に

執着するどれほどの値打ちがあるのだろうか?

永遠につながっているもの、

形なきもののなかにこそ

本当に求めるべき値打ちがあるように思えるのである。

そして、それは自分自身の永遠の存在捜しと重なっている。

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2009年9月20日 (日)

大空への旅路(3)

大空は私たちの故郷であり、永遠の泉なのだ。

和尚によれば、雲ひとつない大空とは

空っぽのスクリーンを指している。

私たちは、そのからっぽのスクリーンに

いつもなにかしらの想いを敷き詰めている。

それは私たちが見上げる

空に浮かぶ雲のようだ。

さまざまな形をした雲たちに

七色の光が当たって

光と影のカラフルな光景を織りなしている。

私たちがこの世界に

この外の世界に想いを寄せている

数々の執着物は、

自分の内なる空に浮かんだ雲の投影に過ぎない

ということがいわれている。

マインドの中の思考が空っぽになったら、

外側の世界は、消えうせる。

外側の世界は、あなたの思考の投影に過ぎない

雲ひとつない心の内側の空っぽのスクリーン‥

それがあなただと言っている。

太字「シャワリング ウイズアウト クラウズ:OSHO市民出版社」より引用

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2009年9月12日 (土)

大空への旅路(2)

‥だれひとり、この地上に属する者はいない。

私たちはそれに属しているように見えるし、

そう感じたりもする。

だが本当は、大空に存在している。

私たちの本質は、大空に属している。

私たちが空を見上げて、気持ちが良くなるのは

私たちが、本来は大空のものであったからなのだろう。

‥肉体とは、大地のことだ。

肉体は大地から作られている。

あなたは大空から作られている。

このふたつが、あなたの内側で出会う。

私たちがこの世に生を受けるとき、その肉体は

地上の物質で作られる。

けれども、私たちのたましいは、

大空から作られる。

私たちが空に憧れるのは

それがひとり一人の魂の

生まれ故郷だったからなのだろう。

一説によれば、

私たちはおおきな光から個々に分かれた

それぞれが小さな微細な光なのだという。

では、その光を生み出すおおもとは

この果てしなく続き、

無限に広がっている大空なのかもしれない。

私たちは、いつしかその大空へ

帰る事を常に夢見て

誰しもが大空へ向かう

旅人なのだろうということを

この言葉から読み取れるのである。

太字「エンライトメント:OSHO」市民出版社より抜粋

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2008年9月28日 (日)

空の瞑想(2)

「闇と光の瞑想(和尚講和録)」市民出版社刊 より

  夏、空全体が果てしなく晴れ渡っているとき、その晴れ渡りの中に入る。

 空に瞑想するー 雲ひとつなく、無限に空っぽで、晴れ渡った夏空にー。

それはまったく手つかずであり、その中では何ひとつ動くものがない。その空に思惟する。その空に瞑想する。その晴れ渡りの中に入る。そしてその晴れ渡りになる。

 雲ひとつない大空に瞑想すれば、突然マインドが消え去っていくだろう ‥‥‥マインドが落ちていくだろう。そこには隙間がある。突然あなたは気づくだろうー それは、まさに晴れ渡った空が自分の中に入ったかのようだ。合間が現れる。少しの間、思考は止む。まるで交通が途絶え、動くものが何もなくなったかのように。

 最初のうち、それは瞬間的なものだろう。たとえ瞬間であっても、変容をもたらしてくれる。少しずつマインドは減速し、もっと大きな隙間が現れる。何分もの間、思考が、雲が存在しなくなる。

思考が、雲が存在しないとき、外側の空と内側とはひとつになる。思考こそが障壁だ ‥‥ 思考こそが壁を作り出す。思考があるからこそ、外は外となり、内は内となる。思考がなくなれば、外と内の境界はなくなり、そのふたつはひとつとなる。実際のところ、かつて境界などけっして存在していなかった。境界があるように見えるのは、まさに思考のせい、障壁のせいだ。

 ここで、「マインド」とは蓄積された過去のことと定義されている。和尚は「マインド」について次のように述べている。

 マインドは決してここにはいないし、けっして今にいない。マインドはつねに過去から来る。それは蓄積であり、記憶だ。

 マインドとは、あなたの得てきた体験すべてであり、あなたの遭遇した情報すべてであり、あなたが掻き集めたり、耳にしたり、聞いたり、読んだりして蓄積した知識のすべてだ。マインドは絶えず蓄積している。

 空が必ずしも夏空で晴れ渡っている必要はないと思う。今の秋空は色々な形の雲が横切っていきます。私は、その雲の隙間に覗かせる青空の晴れ渡りの瞬間に瞑想したりしています。むしろ雲が流れている時にその雲をいろんな思考と捉え、形の良いと自分がみとれている雲も、それに対する執着心として考えます。その形が崩れ去ったとき、それにこだわることを離れるといったことをするうちに、青空がやってきます。そしたら、それを内に行きわたらせるように瞑想するのです。

 私の思うには、1つの技法でもやってみると奥深いものがあります。和尚は112の技法すべてを行なうのではなく、自分のマインドの傾向に合った技法というものがひとそれぞれ必ずあるので、自分に合うと思ったら、それをとことんやってみることを勧めています。確かに、まずはやってみること、そこからようやくスタートするということなのです。

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2008年9月26日 (金)

秋の夕焼け(1)

秋の空を眺めていたら、夕焼け空がきれいでした。

Ts280392_3                                                      車を走らせると、変わった雲の形に遭遇しました。

Ts280393_2

                                                     気をつけてなければ見られない雲でした。太陽に照らされてなければわからなかったかもしれない。

デジカメを持参してなかったのが悔やまれますが、見られただけでも良かったです。このあと雲の尾が延びて、上へとつきあがってゆきました。

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2008年9月23日 (火)

空の瞑想(1)

記事「永遠の一瞥②」でも紹介しましたが、「光と闇の瞑想:市民出版社」からです。

 この本は和尚の講和録のなかでも、特に112もの瞑想法を全10巻にわたって紹介している膨大なものです。この10巻には瞑想だけでなく、人間の持つ心理的な特徴や、真理の探究者にとって陥りやすい過ちをあますことなく述べられています。 

 この巻は特に空の瞑想だけでなく、キーワードとしての「エゴ」「マインド」「空(くう)」「思考」などを重点に書かれています。空についての瞑想は私が一番好きな瞑想でもあるので、次回に紹介しようと思っています。

 和尚の講和本を紹介している私自身、陥りやすい過ちは、自分がその本によってあたかも知識を獲得したかのような錯覚を起こすことです。何か問題が起きたとき、化けの皮がはがれるような知識は本物ではありません。

 本物の知識とは、あなたに起こった知識のことだ。聞いたわけでもなく、読んだわけでもなく、それについて情報を集めたわけでもない。それは自分自身の知識だ。そこには何の疑問もない。それを得たら、もはやそれに逆らうことはできない。

 情報に頼ってはいけない。その情報源がいかに有力なものであろうと、いかに有力なものであろうと、いかに有力な情報源から仕入れてこようと、情報は情報だ。たとえブッダから聴いたとしても、それはあなた自身のものではない。どのみちそれはあなたの役には立たない。けれども、あなたはそれが自分の知識だと思いつづける。そして、この誤解によって、エネルギーや時間や生が浪費される。

 自分自身の知識とは何か? それは自分の体験のなかから、気づき、自身についての意識の拡大を得るものが本当の知識だ。外部の知識は全く無駄ではない。しかし、それは自分の体験によって自己消化されなければ意味がない。他人からやすやすと与えられるしあわせには限りがあるというのも、それは、自分の意識状態としてしっかり根付いていないからだ。ネットで色んな情報が飛び交っているが、それによって自分が成長するとは思ってはならない。自分が本当に必要だと心から思っている知識は外部の情報というきっかけを得て自分のものになるだろうが、それも日常のなかの気づきを待たなければならない。このことを忘れて知ったかぶりをしてはいけないと思う。

 最後にこの「タントラ秘宝の書:全十巻(原題:ヴィギャン・バイラブ・タントラ)」:市民出版刊について和尚の紹介文をつけておきます。多くの方が、一冊でも手に取って読まれることを願ってやみません。

 「ヴィギャン・バイラブ・タントラ」という言葉、それは「意識を超えてゆく技法」という意味だ。これは至高の教え、教えなき教えだ。もし適切な技法が使われたなら爆発的な成長が起こる。そうした技法は何百万年もの実験を経てきたものだ。

ひとりの人間によって考案されたものではなく、大勢の探究者によって生み出されたものだ。その精髄だけがここに示されている。            

ー 和尚

 

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