随想録

2017年11月11日 (土)

金持ちと貧乏

グローバルな世界の仕組みが拡大されればされるほど

庶民は貧乏になっていく。

庶民とはいまでは税金を納める国民のことだ。

 

当然ながら、政治家は、金持ち優遇し、国際化を吹聴しながら

零細企業を苦しめていく。

 

物価を上げることが良いとは、金持ちだけの話しだ。

 

物価を上げれば払える税金が増える。国は儲かる、そのお金で

公共投資ができる。庶民の仕事が増える。給料が上がる?

とんでもない、ますます払う税金が増えるだけだ。

その前に増えるはずの仕事の割り振りが大企業の下で行われ

少しでも請負い費用を安上げようとたたかれる。

 

さらには、大企業の税制優遇は緩むはずもなく

内部留保はますます大きくなる。そして上手く税金逃れの悪知恵も働く。

法律の抜け道は、政治家にとっても必要不可欠だ。

 

結局、正直者の庶民はいつまでたっても潤うどころか

やせ細っていくのだ。頭を働かせないと、払いすぎた税金さえも戻ってこないという

複雑な仕組みを一体誰が考えたのか?

 

国民の公僕である政治家は高い給料の上、無駄な選挙資金にお金を費やして人柄は二の次だ。一部の大企業は正当?なわいろで政治家を買収し、WINWINの関係を構築しようとする。

派遣社員を増やして、大企業の懐を潤し、零細企業の社員たちは、次々と年収の少ない派遣社員に移されていく。

 

そもそも、政治家に自分たちの人生を託すことが問題だ。

 

民間でできる以上のことを政府はしてきたのだろうか?

 

 

グローバル化とともに必要になってくる文書の山を作成するのに

多くの公務員が要る。

しかし、文書で管理される国民は、頭でっかちな役員によって

現実にそぐわないことをされて行き詰ってしまっている多くの現実がある。

 

国民皆保険は理解できても、なぜ自分で稼いだお金の一部を年金に

差し出さねばならないのだろうか? しかも強制的に。

いまでは、お年寄りを現役世代で支えるという観念も形骸化しつつある。

国は、使える年金さえも、株価維持のために使っている。

なぜ自由市場なのに日銀が介入して、株を支えなければならないのか。

株があがれば、ますます金持ちと貧乏人の差が広がっているあたりまえの現実。

 

すべてのつけは、そのうち必ずやってくる。

ひずみも積り、山となれば、大きな地震となるように。

 

そうやって、社会の歴史は激震を繰り返しながら

そこから学んだはずの教訓も、生かし切れたためしがない。

なぜなら、ここはそういう修羅のせかいなのだから

 

世界を変えたいのなら、自分が変わらなければならない。

誰かに生き方を委ねるのが好きな人は

百姓のように働いて働いて、権力者に年貢を納め続ければいい。

 

それがいやな人にだけ、私はつぶやいている。

自分の生き方の姿勢が問われている。

自分自身の姿勢が変われば違った世界に行ける。

 

ひとは、それぞれの考えに相応しい世界を生きるらしい。

 

私たちは、今の社会の規則に縛られて

修羅の世界を生きている。

 

その自覚がある人だけ

「こんな世界はもういやだ」

と言えるのだ。

そうでない人は、繰り返し繰り返し、悲惨な戦争を

続けているこの世界に甘んじるしかない。

 

あなたの心底からの

「もうごめんだ!」が必要だ。

今の日本に、まだそのひっ迫性がある人は

半分に達していない

ただそれだけのことだ。

 

権力者から市民権を取り戻す。

その流れは、既に進行している。

後は、個々の一人一人の目覚めにかかっている。

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2017年11月 3日 (金)

孤独な子羊

まだ群れの中の子羊だったころ

彼らは何故自分が生きているのか

知ることも、知る必要もなかった

ただ、生かされてるだけだった

 

群れのなかの迷える子羊になったころ

彼女らは自分が何者なのか

知りたくなった

どうして自分は生きているのだろう?

そう考えるようになった

 

子羊はある日

羊飼いから

あなたは自分の好きなように生きていいんだよ

そう言われた

羊飼いの言っている意味がよくわからなかった

しばらく迷える子羊として

苦悩の日々が続いた

 

ある日子羊は

羊の群れに戻ることを決意した

そこに羊飼いの姿はなかった

 

ある日子羊は

群れとは違う方向に向かった

そこで好きな草花の匂いを嗅いでいたら

別の子羊が集まってきた

 

ある日子羊の群れは

あちこちに分散した

子羊集団は

それぞれの場所で

それぞれの共通の想いを抱いて

生活していた

 

ある日

目が覚めた子羊は

そこに仲間がいないことに気づいた

自分一人

他には誰もいなかった

いままで見ていた夢が

走馬灯のように思い浮かんできた

とめどなく涙があふれてきた

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2017年10月26日 (木)

多くの国民は馬鹿だった

マスコミにおどらされる国民

 

今回の選挙の目的は民主主義政治を守るために

自民党の過半数を阻止することだった

 

国民の多くは今の政府が国民の貧富の拡大を助長する

政策をとり続けてきたことをわかっていない

 

ひとつの政権が長引けば

腐敗がどんどん進んでいくのもあきらかだ

 

他に選択するところがないというのは

そういうひともまた

結果として、彼らの政策を応援し、助長することを

わかっていない

 

彼らは一般庶民の耳に傾けているのではなく

大企業、経団連、金持ち優遇のことしか頭にない

 

そのうちこんなことを書いてる輩に対しては

言論統制され逮捕されるようになるかもしれない

 

私利私欲で動いている政治の世界にメスを入れるのは

私たち国民だと思っていたが

こんなにも多くのバカがいる日本で

一体誰と真剣に会話したらいいのだろうかと

ぼうぜんとしてしまう

 

後は今後、起こるであろう悲劇を甘受し

そこからでしか、私たちがいかに愚かであったかを

思い知ることはないのだろう

 

そもそも人間も

放牧される羊の群れと違わないのだから

 

食糧を与えられる代わりに

一人でどこへ行く自由もなく

気が付いたら自分の体毛を刈り取られて

寒い思いをして

死なない程度に

生かされていくのだ

 

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2017年8月20日 (日)

日本の憂慮

精神世界を探訪する者にとって

自分の住んでいる国に対しては

クールな傍観者であるのが常である。

そうでなければ、冷静な世界の真相が見えてこなくなり

まっとうな判断を狂わせることになるからだ。

 

それでも、一生活者として、憂慮すべきことが別にある。

 

日本国民は、今になってようやく政治家の私利私欲でペテン師的な役柄について

理解し始めてきた。しかし、今となってはもう遅いかもしれない。

スピリチュアル的には、何事も必然的に起こっているので、

なんら心配することはないのだ。

しかし、日本に住む一生活者として、以下の心配事を並べることで

憂慮すべき事態をみんなで避けていく方向に意識が向いたらいいと思う。

 

①政治について

現政権は、経済が良好な方向に向かうように株価を意図的に吊り上げ、アメリカ経済のみかけ上の好調に乗っかって、失業率も減り、好調のようにみえた。しかし、実態とは裏腹に、金融緩和の出口戦略ができない状態でいる。

 

単純に考えれば、政治家は、国民の公僕であり、その税金で給料をいただいているのだから、国民のために奉仕する存在であった。

それが、いつしかお偉い先生と呼ばれ、口利きひとつで大企業や、大口の寄付を受ける利権団体の都合のよい法律ばかり作るようになった。政治は、いつしか、大企業、金持ちのためのものとなってしまった。

 

②若者の意識の希薄

 

戦争体験を知らない人たちは、本当に戦争の悲惨さを知らない。それは私もそうだが、

日本人がどういった気持ちで、終戦後にアメリカと共同で日本国憲法を作ったのか、その経緯を知らないで物言う人たちが多い。

それは、現首相からして、「アメリカに押し付けられた憲法」として勘違いしているところから、それは仕方のないことである。

 

アベノミクスとは、言ってみれば将来の日本の若者たちにつけを回して、現在の経済状態を日銀を飼い犬のように馴らして維持しているだけなのだという実態をもっと勉強してもらいたいと思う。

 

③軍国主義への恐れ

唯一、被爆体験の国日本が、広島、長崎の意を受けて、核を持たない国に核を撃ち込まないという大事な条約をなぜ、日本政府は同意せず、反対に回ったのか?

それほど日米同盟が大事なのだろうか?

当然ながら、政府は被爆者の心身の痛みをわかろうともしていないのである。

 

そもそも憲法にある、「核の放棄による恒久平和」と政府間の「日米同盟」はその締結時点から矛盾している。相容れないこの二つのことが、永延と暗い影を落とし続けている。

武力を持たない平和主義は、ほぼ永世中立国に匹敵する概念であるから、この二つは両方を得ることなどできないのである。

憲法で武力や核の放棄をとなえながら、アメリカの核の傘下に入っているこの最大の矛盾はなぜ起こったのか?

いうまでもなくそれはアメリカの、経済状況が変われば武力を日本に持たせようとするご都合主義の押し付けである。

日米同盟がある限り、武力の放棄はあり得ず、日本国憲法がある限り、軍隊を持ってはいけないという矛盾が、日本の状況を苦しくしている。

右翼とか左翼とかは関係がない、真に日本のためを思うのであれば、足枷になっている日米同盟を何とかすべきである。それができないのは、敗戦国日本が未だにアメリカ依存から自由を得ていないからである。

武力や核の放棄は、誰の敵にもならないことを意味する。そうした宣言は、武力を持つ国からは脅威とはならない。しかし、日米同盟によってアメリカという核を持つ国の仲間とみられることによって、日本は敵国とみなされることになった。

 

全世界に向かって、我が国は、今後、永遠に中立国であることを宣言すれば、北朝鮮による攻撃の脅威もなかっただろう。

 

 

憲法改正は、①日本の軍国主義復活へ続く道であり、②国民主権の放棄につながる。それは国家の為政者が、国民を自分たちの都合の良いように縛り上げる方向にリードしようとするものだ。

憲法は日本が考えた草案をもとにアメリカが助言して作ったものだ。決してアメリカによって一方的におしつけられたものではない。

また、憲法にある国民主権は、政府の暴走を止めるために為政者を監視するためのものでもある。それを改正してひっくりかえそうという目論見がある。それによっコミュニケーションの自由を国民から奪い、さらにその時々の政治家のマスメディアのコントロール下において、国民を洗脳しようとまでしている。

憲法改正が、時代にあわないなどと言っているのは、結局、大日本帝国時代の、軍国主義の復活を目論む一部の政治家のたわごとに過ぎない。それを極右といい、賛同するのは、戦争体験を知らない者が、ただ単に戦争というお遊び感覚で、日本を強くしたいだけなのだ。

また、原爆の悲劇が起きるのは、国民だれもが、もう見たくないと思っているのじゃないですか? だったら、軍隊も、日米同盟も、もういらない。

 

補足

 

武力を放棄すれば、攻撃されると思っている人たちは多いだろう。

そもそも、攻撃する動機は、他の信条集団に対して、恐れているからである。

 

何をされるのかわからない、という恐れが、人を武力に引き付ける。

戦争とは、恐れと恐れとの戦いだ。

 

また、自分とは違う意見の人たちを排除しようとするのも、恐怖からくるのである。

自分たちの生活が脅かされるのではないか、違う意見のヒトとは相容れない、という心の背景には、自分自身への不信がある。

 

絶対に信じるものがないから、絶えず不安におびやかされ、すると他人を支配、自分の信条でコントロールすることで、安心感を得ようとする。

そういった人々の集まりだから、戦争と平和が絶えず入れ替わって、歴史をつくっいく。

 

結局は、この世界の人々の大半は、

①他人に対して絶大の信頼を得ていないこと、

②自分自身を真に愛していないこと

③ありのままの自分を受け入れてもらえなかったこと

などが挙げられる。

 

これらの事柄が積み重なって、他人に対する不信感につながってゆく。

そうして、いわゆる他人を痛めつけるような行為は、結局は自分自身への不信感の裏返しなのだ。凝り固まった信条や、家族、一つの国家に固執するのも、それにしがみついていないと、自分の自己同一性を保てないからだ。その偽りの自己にさらに固執し続けるために、結局他人と常に争わねばならなくなってしまうのだ。

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2017年8月13日 (日)

洗脳と自己選択

時代が変わろうとしている。

それなのに、相変わらず洗脳され続けている人たちがいる。

そう言って、何に洗脳されるかで、人生は大きく左右される。

 

洗脳れたくなければ、情報という情報を一切遮断すればよいのだ。

そうできないのは、私たちがメディア社会の一員だからだ。

 

誰の言うことを信じようと、信じまいと、世の中の流れは

最後には、大自然である地球に従わざるを得ないのだ。

 

どんなに立派と思われる社会を構築しようと、

どんなに一部の一握りの人たちだけが豊かに潤う世界を

人間が意図しようと、

地球という大自然はその意を介することがない。

 

地球に存在するすべての生物は

その環境にみずからの命を委ねられているからだ。

 

人は自分自身の直観に従って

何に洗脳されてもいいのか

そうでないのか

賢くならねばならない

 

そうでなければ

情報の波の中で

自分の意に合わない洗脳を受け

結局、不本意な人生に甘んじてしまう。

 

人は自らの経験と直観を頼りに

何に従っていきたいのか

決めていかねばならない

そういった意味で

 

人は自分自身の人生に責任を負っている

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2017年7月29日 (土)

なんでもあり

人はそれぞれに、自分の夢を生きている

 

社会規範というものが緩んできたとき

一時的にも混乱する時期がある

今が、その時なのかもしれない

 

道徳などどこ吹く風といった

自我の願望が

これほど蔓延していることも決して驚かない

人は、それぞれの夢を生きているからである

 

だからといって

なんでもありなのか?

 

なんでもありということは

ブレない自分の主義主張を持たないということ

それは風に流される根なし草のように

自分の人生が、外部の人たちに左右されることになる

しかしあなたは、

 

人はそれぞれに自分の夢を生きていると

言ったではないか?

という

自分の夢とは自我の夢であり

ひとは自我の夢をコントロールできるほど成熟していない

がから、自分の夢だと思っていたものが

いつしか他人に横取りされてしまう

こんなはずではなかった

自分の夢というものを醒めてみよう

世の中を醒めてみたら

もうひとりの自分がいることに気づく

本当に自分の夢を生きるためには

自分だと思っている自我の夢を

コントロールする

もうひとりの自分自身に

どれだけ気づけるのか

 

別に新しいことではなく

古くからいわれてきたことだ

二話の鳥の話だ

 

もう一人自分を見つけるために

現実の自分を第三者のように

見ることも

時には大切なことなのだ

 

 

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2017年7月23日 (日)

情熱

想いを伝えるには

自分の本気度が試される

どれだけ情熱を秘めているのか

それは表出するものだ

誰かの意見を求めたりするのは

自分のやろうとしていることに

自信がないだけでなく

本気になっていない自分自身の

こころの状態を表しているだけ。

誰かに想いを伝えたいとき

それが本心なら

周りの人々さえも

幸福な気分に浸らせる

自分自身に正直でいれば

人間関係に軋轢があったとしても

結局は

その時の自分に相応しい人たちだけが残る

偽りの気持ちを捨てて

内なる自分の情熱を素直に表そう

そうすることで

身の回りの世界も

しあわせに続いてゆくのだから

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2017年7月11日 (火)

個の時代

世界は自分の思考が創っている

そうは言っても、人生、思いのままにいかないのはどうしてか?

利己的なマインドの願い事と、

調和的なハートの願いが異なり、

それぞれの想いが心のなかで、葛藤しているからだと言われる。

人間は、生活者であると同時に個性を表現する存在である。

個性を表現するために生まれてきた自分は

まず、生活者とて安定しなければならない。

そうして、現代の文明人は生活の潤いや安定、豊かさばかりを追い求める結果

自分自身を表現することの喜びを実現することが困難になってきた。

その代わりに、個性を発揮し、表現できている、と思われる芸能人やスポーツ選手

に期待し、夢中になることによって心の安定を図ってきた。

そして、政治家に対しては自分の生活の安定や、豊かさを保証してもらおうと思ってきた。

これからは個性の表現の時代だ。

他人に期待し、頼るのはもうやめたい。

自分のやりたいこと、しようと思っていることを考えよう。

自分の生き方に、優先順位をつけてみよう。

そうしたら、無駄に人生を過ごすことが徐々に減ってゆく。

そもそも、自分で主体的な生き方が出来てこなかったのは

いつ、自分が死ぬかわからないという

切迫感がなかったからだ。

人生は一度限りで限られている。

無限に時間があるというのは、言い逃れになり、問題をあとのばしするものだ。

この自分というキャラクターで生きている人生は一度きり

他の誰のものでもない、この貴重なオリジナルな自分を自覚して

今という瞬間に焦点を合わせ

その連続が、結果として充実した人生につながっていく。

あなたが、自分が死ぬときに、「生きててよかった」と思えるような人生にするために

今という一枚一枚の瞬間に意識的になり

自分の意思をしっかり持って意識し、自分というドラマの展開を楽しもう。

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2017年6月18日 (日)

日本の行く末

政治が混乱している。民主主義の崩壊だ、と言われる。

 

 

さて、今に始まったことではないが、

 

良くも悪くも結局は国民に全責任が覆いかぶさっていくのだろう。

 

自民党政権、特に内閣のマスコミに対して好き放題や、行政の不当な介入ぶりを必ずしも国民は許してはいないだろうが

 

だからといって、それに代わる安定政権を選択できない。

 

それを理由に選挙に投票に行かない人々には主だった特徴がある。

 

一つに、いまのデフレ状態で、それなりの暮らしをしている庶民が多数派であること。

 

一つに富豪層や大企業、大手利益団体から、中小企業の経営者などにとって、阿部政権の経済対策は多大な利益をもたらしていること。

 

一つに母子家庭や非正規雇用者で、選挙に行くことを最初から諦めているの多くの人たちがいること。

 

一つに若者の多くが経済的安定を理由に指示しているのではないかということだ。人権問題よりも雇用の安定が優先されるなど、切実ではあるが、思想や表現の自由のない社会を体験した世代の歴史を聞かされている私たちからすれば信じられないことである。

一つに、若者の多くが抱える、あきらめの気持ちである。「どうせ私一人が投票したって何も変わらない」と思っている若者を含めて、そういう人たちが多いのだ。しかし、一人一人が集団にならなくても、団結しなくても、同じ希望の未来を創るために、腐敗政治に意思表示をすることはとても大切なことなのだ。行動しないことには、何も変わっていかないのだ。そのことを理解できるのはいつなのだろうか?

多様性を認めない社会は戦争に至らずとも、長くは存続しないことを、歴史は教えてきた。私たち世代は、それを子に示す手段を知らない。なぜなら、父親世代が体験してきたことを、子らに、「そのように聞いた」話として聞かせると、まったく説得力のないものに終わってしまうからだ。「人は、体験からしか多くを学べない」とはよく言ったものだと思う。

民主主義が必ずしも最良であるはずもなく、優れた専制国家の指導者によって、国が栄えた歴史もある。しかし、現代は、議会制民主主義の時代であり、しかし、三権分立も崩れ去り、その民主主義も崩壊の兆しをみせている。成熟した社会の大きな問題点は、一部の良識ある国民を除いては、まだ政治に対する期待を抱いている多くの群衆が、悪徳政治を支えようとしていることである。それが意味するものは、物質の豊かさから、精神の豊かさへの過渡期であるということ。つまり、物の豊かさは量によってではなく、その質によって心も豊かさをもたらすということ。それはつまり、今の繁栄社会がもたらす便利さから、一度その有難さを実感するまで、世界が変質していく過程にあるということ。

 

 

うそつきは政治の始まりだというが、このうそが、個人の尊厳をも失わせるような状態になってしまった。うそは恥ずかしいことという美学が政治家によって消え去ろうとしている。しかし、それは日本国民全体の質の低下を反映しているのではないだろうか?

 

社会を変えようとするとき、多数の意志がその力になっている。しかし、無気力、無関心、投票行動に行かない人たちにとって、日本の政治は変えても同じだと思っているか、現状で良いと思っているのだ。

 

 

仮にそうでなくても、国民の総意は現状の政治に反映される。たとえ国民の無知の結果、自分たちの自由が侵害されようと、戦争に巻き込まれようと、それは国民全体がそのような方向に舵を切ったということになる。

 

その方向に向かったとして、一番困ることとは、ブログ上で自由にものが言えなくなることである。

 

そして弱者たる貧しい国民をさらに奴隷状態のように、意見を言わせない体制に持って来ようとしているところに大きな問題がある。

 

 

冷静に状況を把握すれば、日本の国民の多くは豊かさについて考えることもできなくなるくらいに、物質文明に支配されてしまっているということ。それは日本にかぎったことではない。

 

これから世界は、困難な時期を迎えるかもしれない。ただし、それは、今一度、幸せとはなんなのか考える機会を与え、現在よりも住みやすい社会を創るための避けて通れない過程なのだろうか?

 

 

人間関係が希薄になってきたとか、そういうのは、情報が蔓延し、より個々の個性に合ったライフスタイルを選べるということである。そのことは却って家庭という幸せの一形態のモデルを形成しにくくした。個性的な生き方が示されればされるほど、家のつながりは薄れ個人間の人間関係はより、色彩の濃いものになっていく。そのことは自分の個性を生かす場が増えてきたということが言える。

 

 

今の時代ほど、自分の人生を創造するにたやすくなった時代はない。しかし、一方でえに政治の世界では、専制政治、軍国主義など時代遅れの方向に向かっている。そのことは一人一人の個人の意識の高まりの兆しが見えてきたことを示すものでもある。時代が大きく変わろうとするとき、社会は混乱の時期を通ることがある。今はその試練の時が来ているのかもしれない。

 

社会は確かに病んでいる。その証拠として、社会に殺人や強姦などの犯罪が毎日のようにニュースになっていること。

 

一方で、個性を生かす世代が芽を出し、その一方で古いものが叫び声をあげて取り残されないように泣いている。現代は、古いものと新しいものとが混在して不安定な社会に至っているのだ。

 

 

今の社会は病んでいる、その病んでいることに気づくことが、一人一人の個人の中で問われ、意識の高まりを期待されている。それ以外のなにものでもなく、ただ社会に、政治に何かを未だ期待し続けている国民が多数派を示している限り、日本の行く末は決して明るくない。

 

しかし、彼らもまたより豊かな日本を形成するために、一度凋落しなければならない運命であることをを予感しながらも、今の決して幸せではないけれど便利な世の中にしがみついていたいのかもしれない。便利であればあるほど、豊かな人生とは何かを問われる世の中になっているのだ。

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2015年8月 6日 (木)

平和は続かないのだろうか

日本はアメリカの傘下にあるからアメリカが喧嘩してたら、助けなければならない、
というより自分の国は自分で守らねば、誰も他人の家のことなどかまってくれない。
国民の三分の一以上が自民党の集団自衛権法案に賛成している。
半数以上は、憲法の改正の手続きを国民にとってから、法案を適法化させるべきだと言っている。

そもそも、原爆を唯一落とされた国である日本なのに、なぜ平和憲法を自衛権行使のために改変しようとするのだ。

アメリカ人の一部か多くは、未だに戦争を終わらせるために、「原爆投下は妥当だった」などと恐ろしい考えを持っている。広島、長崎で被害をこうむり、 生き残った人たちの悲痛な叫びを、彼らには推し量るだけのやさしさすらない。何の罪もない国民が、台無しにされた人生や地獄の苦しみを彼らも味わってみたらいいと、言ってしまいたくなる。
問題の本質は、泥棒から守るために、武器を確保するということだ。武器を確保することで、既にその国家の平和は崩され、戦争へと傾いてしまうのだ。それは、人間が持つ恐怖と不安感が原因である。4

そもそも他人が信じられないのは、不安に基づいている。自分自身が信じられない人類は、弱肉強食の動物の世界を人間にもあてはめてしまった。むしろ、人間はまた動物的存在であるということだ。
強い者はさらに強い者によって攻撃され、自身の自由と生を奪い取られる。しかし、その頂点に立った者は、結局は一人では、一国では生きていけないことを思い知るのである。
地球で暮らす人類はみな、自分たちで気づこうが気づくまいが、共存して、お互いに支えあって豊かな生活を成り立たせている。そのことを忘れてしまった人類の多くは、「敵にやられる前に、攻撃の準備をしなければならない」という。
侵略されたときのことを考えてしまうのだが、それこそ、人間が人間を信頼していないことの証である。それはつまり、自分自身を信頼していないことであり、絶えず誰かから襲われるのではないか、命を脅かされるという恐怖が潜在的にある。

このことは、私たちが長い間、物質世界で生きることになじみ過ぎた弊害でもある。
しかし、一方で私たちはいまだ、動物と対して違わない性欲を持ち、子孫を残し、苦悩や悲しみの絶えない世界の存続に加担している。
それは私たちが、魂という意識存在に到達していないからに他ならない。

「目には目を」そうした考え方で、過去に何度も戦争を起こし、科学文明がもたらした破壊兵器で生き残った者はいない。
頂点に立った者は、決して生き残ることはできない。それは、私たちの豊かな社会が、お互いの協力によって成り立っていることを少し考えるだけでもわかることだ。

人は襲われる恐怖によって武器を持ち出し、武器を持つことによって、攻撃的な相手を引き寄せ、結果として戦い、そして残ったものは決して、それまでにあった豊かな生活が決して取り戻せなくなってしまったことに嘆き悲しむのである。

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