随想録

2018年1月 7日 (日)

結婚難と離婚率の増加

男女の生涯未婚率が増えている。

これについては、若年層男女の就業が一定しない、非正規雇用であったりと、経済面での不安定要素がある。

一方で、65歳以上の年金生活者は、ぜいたくな暮らしをしない限りは食べていける。

問題なのは、高額所得者が、定年以降にもらえる年金額が多いことである。

大企業優遇税制や、株主配当もそうだが、ほそぼそと預金している者に対しては、ほとんど金利がつかない。これでは政府などない方がましに思えてくる。

 

話をもとに戻して、若者の収入が安定しないことには、結婚を考える女性にとっても敬遠されがちになる。

もうひとつの理由として、これだけネット社会が拡がっている今、お見合いだとか、職場だとか、地域活動だとかで出会う人たちは、一昔前に比べると少なくなってきているのではないだろうか?

特定の誰かに絞って、「この人と結婚したい」とまでいえるには、色々比較する情報に溢れ返っているので、ハードルが高くなっているのだ。

また、男尊女卑や、亭主関白、男女の家族観、価値観の開きが大きくなってきているようだ。少なくとも、男性より女性のほうが、成熟度が増してきているため、相対的に女性の求める理想の男性が少ない現状がある。

 

男はいらないが、子供が欲しくで結婚するケースでは、離婚の可能性も高くなる。

いまや、男女どちらも浮気するのが当たり前になりつつも、それを羨ましがる人たちは、それを許さないために、その手のバッシング記事やブログが人気になったりもする。

 

そもそも、国家を構成する醜悪な家族のもとでは、どんな子供もその時代の思想に合うように、両親から教育され、社会の常識人として適応はできても、本来の自分の個性を伸ばすことはできない。そのひずみが、社会のあちこちに、漏れ出してくるというわけだ。

 

もとより、国家のために家庭があるのでもなく、個人もまた、家族のために生きるのがいつのまにか生きがいとなるようになった。

このような特定の誰かや、社会に対してもたれかかり、依存しなければ生きていけないような社会組織は醜悪である。

自分の生き方や個性が伸ばせるような社会にするために、家族はいらない。

個人と個人の関係も、もっと自由であるべきだ。

 

ひとは色々な可能性をもって生まれてくる。その子供を特定の宗教や信条、思想にかぶれた両親のもとで育てることのどんなに愚かであるか、ちょっと考えればわかることなのだ。

少なくとも、現代社会は、家族意識が希薄であり、また崩壊の方向へ走っているように思われる。そして、今後は家族という構成単位、その延長にある国家という単位が問い直されていくのではないだろうか?

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2017年12月23日 (土)

家族の崩壊

家庭崩壊が叫ばれている

これは近代文明が開花した結果ではなく

閉塞した結果、家庭が崩壊しだしたということだと思う。

人類の科学文明は、いまや自動ロボットだけでなく、人口知能の実用化の段階にまで

来ている。

一方で、国の構成単位である家庭の崩壊は何を意味しているのか?

その前に何が家庭崩壊をもたらしているのか確認しておきたい。

 

①行き過ぎた核家族

 

核家族がもたらしたものは、お年寄りの介護が家族でできなくなっていること。子育ても、外部機関による委託をしなければならないということ。この二つのことは、仕事を優先するあまり、犠牲にされてきたことだ。

お年寄りや子供は、ともに愛情を受けずに世話されていく。というのは言い過ぎにしても、

本来なら家族の誰かによって養ってもらいたい、話を聞いてもらったり相談したり、甘えたいという望みがあるはずである。それが近代化が進むにつれて、できなくなってきた。

そのことと、社会における犯罪の増加、常識では考えられない、家族間の殺人や、街中の無差別殺人を生んでいることとは無関係ではない。

 

これらの犯罪は、社会が病んでいることのバロメーターになるものだ。

国家は、政治はこの間、どんどん腐敗し、グローバル化の名のもとに、自分たちの利益優先になり、貧富の差が拡大してきた。この先、社会の混迷はますます醜悪なものになってくるだろう。

 

そもそも、何が良くて何が悪いことかの判別もままならなくなる。

外国より日本人の方がまし、などという甘い考えは通用しない。

既に、自分たちは同じ地球社会の一員であり、ひとつ間違えば、すべてが滅んでしまう状況にあるのだから。

 

少なくとも、この混迷社会を救う手だては、国の在り方が根本的に変わらなければならないということ。

男性中心の攻撃型社会から、女性原理も等しく取り入れたバランス社会が必要だということ。

国家間の紛争の拡大は、家族の崩壊と無関係ではない。愛情を受けて育てられるはずの機能が家族になくなったのだ。

国家、組織、家庭の存在意義が失われた今、人の心の姿勢そのものが変わっていかなければならない、またそうならさせるを得ない状況に来ているということだと思う。

 

核家族化の極みは、国家の崩壊につながる。そして、そのときこそ、人類の新たな精神世界の始まりとなる、今はそうなるだろうとしか言えない。そしてもその試練を人類は乗り越えてゆかなければならないのだ。そう、エゴにとっての試練が。

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2017年12月17日 (日)

意識の進化

人は進化し続ける生き物だ。

それは動植物でも常に変化する環境で進化する生き物であるのと変わらない。
これから地球が変わっていく、その変化に私たちはどうついていけるのかが
問われている。
変化に合わせて、今は自分の意識も進化させる絶好の機会だということができる。
たんにアセンション、次元上昇という機運に飲み込まれず
自分は自分、どれだけの気づきをもって、この時期を過ごすかが大切なことのように
思われる。

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2017年12月15日 (金)

宇宙文明への希望

地球のアセンションに期待する若者が増えている。

地球に転生した、いわゆるインディゴチルドレンがライトワーカーとしての役割を果たすために、動き出している。

そういう人たちのことを否定はしない。

どんな環境の変化も、一人の活動から始まるといわれている。

その光の一点が周囲の人たちを感化し、その光が次第に大きくなっていく可能性は否定できない。

そして何よりも、彼らは明るい。その陽気さ、ポジィティブな側面は、前世代のライトワーカーにはない持前であるのかもしれない。

 

しかし、アセンションは無数の地球の選択肢のひとつに過ぎず、そのなかでも、精神性の進化の意志を持った人たちのそれこそこころざし如何にかかっている。

 

現代の近代文明は仮にアセンションをしない地球の行く末をみたとしても、一度仕切り直しの運命にある。そういう意味では、この先、地球は進化のための混迷期をそろそろ迎えるのだと思う。

だからこそ、一人一人の行動や成熟度が、どの未来の運命の地球の時間軸に乗るのかを決定づけることになる。

 

明るい未来の地球のためにできることは、前向きの姿勢である。

そういう意味でも、宇宙文明に期待を寄せる若者の気持ちが、彼らをアセンション後の地球に向かわせるのかもしれない。

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2017年12月10日 (日)

宇宙文明という自己欺瞞

地球のアセンションという、精神世界で話題になっているイベントにくらいついている若者が増えている。

アセンションとは地球の次元が上昇し、宇宙文明の仲間入りをするというものだ。

 

そもそも、宇宙文明といっても、色々ある。

多彩な展開をする宇宙文明にあって、必ず肯定的なものばかりではないということは

数々の研究によって考察されてきた。

それなのに、さも、宇宙文明は今の地球と違って宇宙に充満するエネルキーを自在に操って自然と調和して生活しているかのような楽しいことづくめのアピールが多い。

実際にそのように高度な文明を極めている宇宙生活者もいるに違いない。

しかし、その者達の一部が、地球に転生して地球のアセンションに使命感をもって

がんばっているというのはどうだろうか?

 

バシャールの影響からか、そのように、「自分は志願して地球を宇宙文明の仲間入りにする」

と決意したかのような錯覚や思い込みをすることも可能である。

そのように、現代社会の自分たちの力ではどうにもならない現状の避難場所としての「宇宙文明」幻想はいくらでも創作することが可能である。

彼らは、地球に同士を集めて光のコミュニティを作ろうと躍起になり、それに生きがいを求めようとする。

大志を抱くのも、理想を追求するのも、現状を変えようとしない若者にくらべればはるかにましだと言える。

しかし、残念ながら、彼らの夢の実現化には、克服すべき課題が幾つもある。それに対して、その実現化への方策は貧弱である。またネット社会の陥りやすい自信過剰傾向は若者ならではの特徴でもある。

取りあえず、彼ら理想とする宇宙文明の矛盾点を挙げてみよう。

 

①宇宙文明を実現するに必要な意識の進化について十分に語られていない。

実は人はそれぞれの進化度に相応しい環境を絶えず無意識のうちに選択している。多次元宇宙の考察からは、今の地球のみんながアセンションに参加できるのではなく、地球の生活を卒業する値する人がアセンションを選択している。

 

②地球の現実にはないエネルギーの駆使、マナ、プラーナ、とかいうものは、成熟した存在にしか使えないし、仮に使えた文明が存在したとしても、その存続は短い。

その点は、愛情の度合いが発達した人にしか使えないと言っている点は評価できるが、私にはワンネスに基づいた環境循環社会は、単に精神世界ブログの入れ知恵に過ぎないように思われる。

自分たちに、それだけの成熟度があるなら、本当に自分の住まいをいますぐにでも、他人に提供し、同居することができるだろうか?

ワンネスに元ずく共有社会は、相手に対する100%の信頼がないと成り立たない。

仮に宇宙文明がどれだけ精神性に優れたものであろうと、人類は一つであるというワンネスの意識は覚者以外になく、また覚者は自分の世界(宇宙)を構築しないという矛盾がある。

  ③自分は宇宙文明から地球を救うために転生してきたという自己欺瞞

 現実の人間はエゴに囚われ、動物としての本能に囚われ、六道に囚われ続けている。だから、精神の道の出発点は、そこにある理想やイデオロギーではない。そこにある期待や指導者、独裁者への依存ではない。現状の自分自身の把握なのだ。いくら使命感を持ったところでいったん地球に降りてしまえば波動が落ちて、現実と向き合わねばならない。それなのに彼らは、この地球に理想郷を始めましょうと言い、ポジティブなことしか言わないのは片手落ちである。

そこで問題になるのは、自分の「自己欺瞞」に気が付いていないということなのだ。ネット社会では色んなひとにメッセージを送れ、あたかも自分が大したことをしているような錯覚に陥ってしまう。そして「私はこれだけのことをしているから、他の人より優れている」という自己欺瞞である。そこに現実逃避が隠されている。

宇宙文明の生活をこの地球にももたらそう、そんなこと余計なお世話ではないのか?

 幼い地球でも、争いを通じて成長するし、困難を通さなくしてこころの豊かさなどあり得ない。真に宇宙文明化した人たちは、おそらく使命感もなにもなく、ただ地球の一生活者としてひっそりと暮らし、身近な人々に救いを差し伸べ続けていることだろう。

 蛇足

 

④ 高度な宇宙文明、4次元以降の微細な波動の非物質世界

 

それは、六道輪廻でいう天界の世界に相当する。天界では自分の肉体を持たず、性別もなく、神々の住む世界である。いわゆる文明化した宇宙人とこのことを指すのだと思われる。彼らはまだ、人間界に堕落する存在でもある。

 

その上の意識が本来の自己、ハイヤーセルフ、アートマンの常駐する世界である。しかし、この域に到達した存在は、もはや人間界に戻ることはないとされている。(おショー7身体の秘密から)

その上の意識がブラフマン、宇宙意識だ。

そこは個人として存在する世界ではなく、宇宙創造により一つの環境を提供する。それは愛というエネルギーを生み出す環境である。

言い換えれば、これは慈悲で満たされた世界そのもののことを指しているといわれる。

 慈悲は、達成とは無縁なものだ。本当の慈悲をもつ人には、自分が人に対して寛大なのか自分自身に対して寛大なのか確かではない。なぜなら、慈悲とは「自分のために」とか「彼らのために」という方向をもたないひとつのいわば環境としてそこにある寛大さだからだ。それは悦びで満たされている。おのずと存在する悦び、信頼を意味する悦び、そして測り知れない富と豊かさを含む悦びで満たされている。 慈悲とは豊かさの究極の状態だと言うこともできる。

2012.6.9ありのままの自分(1)過去ブログ記事参照}

 

その上の意識に至って非二元性、ワンネス、真如一如がある。

ワンネスを理解するということは、即ち理解したという自分もいない、覚醒した存在であるアートマン、宇宙の創造主であるブラフマンもないということである。

 

即色是空 空即是色

 

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2017年11月11日 (土)

金持ちと貧乏

グローバルな世界の仕組みが拡大されればされるほど

庶民は貧乏になっていく。

庶民とはいまでは税金を納める国民のことだ。

 

当然ながら、政治家は、金持ち優遇し、国際化を吹聴しながら

零細企業を苦しめていく。

 

物価を上げることが良いとは、金持ちだけの話しだ。

 

物価を上げれば払える税金が増える。国は儲かる、そのお金で

公共投資ができる。庶民の仕事が増える。給料が上がる?

とんでもない、ますます払う税金が増えるだけだ。

その前に増えるはずの仕事の割り振りが大企業の下で行われ

少しでも請負い費用を安上げようとたたかれる。

 

さらには、大企業の税制優遇は緩むはずもなく

内部留保はますます大きくなる。そして上手く税金逃れの悪知恵も働く。

法律の抜け道は、政治家にとっても必要不可欠だ。

 

結局、正直者の庶民はいつまでたっても潤うどころか

やせ細っていくのだ。頭を働かせないと、払いすぎた税金さえも戻ってこないという

複雑な仕組みを一体誰が考えたのか?

 

国民の公僕である政治家は高い給料の上、無駄な選挙資金にお金を費やして人柄は二の次だ。一部の大企業は正当?なわいろで政治家を買収し、WINWINの関係を構築しようとする。

派遣社員を増やして、大企業の懐を潤し、零細企業の社員たちは、次々と年収の少ない派遣社員に移されていく。

 

そもそも、政治家に自分たちの人生を託すことが問題だ。

 

民間でできる以上のことを政府はしてきたのだろうか?

 

 

グローバル化とともに必要になってくる文書の山を作成するのに

多くの公務員が要る。

しかし、文書で管理される国民は、頭でっかちな役員によって

現実にそぐわないことをされて行き詰ってしまっている多くの現実がある。

 

国民皆保険は理解できても、なぜ自分で稼いだお金の一部を年金に

差し出さねばならないのだろうか? しかも強制的に。

いまでは、お年寄りを現役世代で支えるという観念も形骸化しつつある。

国は、使える年金さえも、株価維持のために使っている。

なぜ自由市場なのに日銀が介入して、株を支えなければならないのか。

株があがれば、ますます金持ちと貧乏人の差が広がっているあたりまえの現実。

 

すべてのつけは、そのうち必ずやってくる。

ひずみも積り、山となれば、大きな地震となるように。

 

そうやって、社会の歴史は激震を繰り返しながら

そこから学んだはずの教訓も、生かし切れたためしがない。

なぜなら、ここはそういう修羅のせかいなのだから

 

世界を変えたいのなら、自分が変わらなければならない。

誰かに生き方を委ねるのが好きな人は

百姓のように働いて働いて、権力者に年貢を納め続ければいい。

 

それがいやな人にだけ、私はつぶやいている。

自分の生き方の姿勢が問われている。

自分自身の姿勢が変われば違った世界に行ける。

 

ひとは、それぞれの考えに相応しい世界を生きるらしい。

 

私たちは、今の社会の規則に縛られて

修羅の世界を生きている。

 

その自覚がある人だけ

「こんな世界はもういやだ」

と言えるのだ。

そうでない人は、繰り返し繰り返し、悲惨な戦争を

続けているこの世界に甘んじるしかない。

 

あなたの心底からの

「もうごめんだ!」が必要だ。

今の日本に、まだそのひっ迫性がある人は

半分に達していない

ただそれだけのことだ。

 

権力者から市民権を取り戻す。

その流れは、既に進行している。

後は、個々の一人一人の目覚めにかかっている。

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2017年11月 3日 (金)

孤独な子羊

まだ群れの中の子羊だったころ

彼らは何故自分が生きているのか

知ることも、知る必要もなかった

ただ、生かされてるだけだった

 

群れのなかの迷える子羊になったころ

彼女らは自分が何者なのか

知りたくなった

どうして自分は生きているのだろう?

そう考えるようになった

 

子羊はある日

羊飼いから

あなたは自分の好きなように生きていいんだよ

そう言われた

羊飼いの言っている意味がよくわからなかった

しばらく迷える子羊として

苦悩の日々が続いた

 

ある日子羊は

羊の群れに戻ることを決意した

そこに羊飼いの姿はなかった

 

ある日子羊は

群れとは違う方向に向かった

そこで好きな草花の匂いを嗅いでいたら

別の子羊が集まってきた

 

ある日子羊の群れは

あちこちに分散した

子羊集団は

それぞれの場所で

それぞれの共通の想いを抱いて

生活していた

 

ある日

目が覚めた子羊は

そこに仲間がいないことに気づいた

自分一人

他には誰もいなかった

いままで見ていた夢が

走馬灯のように思い浮かんできた

とめどなく涙があふれてきた

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2017年10月26日 (木)

多くの国民は馬鹿だった

マスコミにおどらされる国民

 

今回の選挙の目的は民主主義政治を守るために

自民党の過半数を阻止することだった

 

国民の多くは今の政府が国民の貧富の拡大を助長する

政策をとり続けてきたことをわかっていない

 

ひとつの政権が長引けば

腐敗がどんどん進んでいくのもあきらかだ

 

他に選択するところがないというのは

そういうひともまた

結果として、彼らの政策を応援し、助長することを

わかっていない

 

彼らは一般庶民の耳に傾けているのではなく

大企業、経団連、金持ち優遇のことしか頭にない

 

そのうちこんなことを書いてる輩に対しては

言論統制され逮捕されるようになるかもしれない

 

私利私欲で動いている政治の世界にメスを入れるのは

私たち国民だと思っていたが

こんなにも多くのバカがいる日本で

一体誰と真剣に会話したらいいのだろうかと

ぼうぜんとしてしまう

 

後は今後、起こるであろう悲劇を甘受し

そこからでしか、私たちがいかに愚かであったかを

思い知ることはないのだろう

 

そもそも人間も

放牧される羊の群れと違わないのだから

 

食糧を与えられる代わりに

一人でどこへ行く自由もなく

気が付いたら自分の体毛を刈り取られて

寒い思いをして

死なない程度に

生かされていくのだ

 

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2017年8月20日 (日)

日本の憂慮

精神世界を探訪する者にとって

自分の住んでいる国に対しては

クールな傍観者であるのが常である。

そうでなければ、冷静な世界の真相が見えてこなくなり

まっとうな判断を狂わせることになるからだ。

 

それでも、一生活者として、憂慮すべきことが別にある。

 

日本国民は、今になってようやく政治家の私利私欲でペテン師的な役柄について

理解し始めてきた。しかし、今となってはもう遅いかもしれない。

スピリチュアル的には、何事も必然的に起こっているので、

なんら心配することはないのだ。

しかし、日本に住む一生活者として、以下の心配事を並べることで

憂慮すべき事態をみんなで避けていく方向に意識が向いたらいいと思う。

 

①政治について

現政権は、経済が良好な方向に向かうように株価を意図的に吊り上げ、アメリカ経済のみかけ上の好調に乗っかって、失業率も減り、好調のようにみえた。しかし、実態とは裏腹に、金融緩和の出口戦略ができない状態でいる。

 

単純に考えれば、政治家は、国民の公僕であり、その税金で給料をいただいているのだから、国民のために奉仕する存在であった。

それが、いつしかお偉い先生と呼ばれ、口利きひとつで大企業や、大口の寄付を受ける利権団体の都合のよい法律ばかり作るようになった。政治は、いつしか、大企業、金持ちのためのものとなってしまった。

 

②若者の意識の希薄

 

戦争体験を知らない人たちは、本当に戦争の悲惨さを知らない。それは私もそうだが、

日本人がどういった気持ちで、終戦後にアメリカと共同で日本国憲法を作ったのか、その経緯を知らないで物言う人たちが多い。

それは、現首相からして、「アメリカに押し付けられた憲法」として勘違いしているところから、それは仕方のないことである。

 

アベノミクスとは、言ってみれば将来の日本の若者たちにつけを回して、現在の経済状態を日銀を飼い犬のように馴らして維持しているだけなのだという実態をもっと勉強してもらいたいと思う。

 

③軍国主義への恐れ

唯一、被爆体験の国日本が、広島、長崎の意を受けて、核を持たない国に核を撃ち込まないという大事な条約をなぜ、日本政府は同意せず、反対に回ったのか?

それほど日米同盟が大事なのだろうか?

当然ながら、政府は被爆者の心身の痛みをわかろうともしていないのである。

 

そもそも憲法にある、「核の放棄による恒久平和」と政府間の「日米同盟」はその締結時点から矛盾している。相容れないこの二つのことが、永延と暗い影を落とし続けている。

武力を持たない平和主義は、ほぼ永世中立国に匹敵する概念であるから、この二つは両方を得ることなどできないのである。

憲法で武力や核の放棄をとなえながら、アメリカの核の傘下に入っているこの最大の矛盾はなぜ起こったのか?

いうまでもなくそれはアメリカの、経済状況が変われば武力を日本に持たせようとするご都合主義の押し付けである。

日米同盟がある限り、武力の放棄はあり得ず、日本国憲法がある限り、軍隊を持ってはいけないという矛盾が、日本の状況を苦しくしている。

右翼とか左翼とかは関係がない、真に日本のためを思うのであれば、足枷になっている日米同盟を何とかすべきである。それができないのは、敗戦国日本が未だにアメリカ依存から自由を得ていないからである。

武力や核の放棄は、誰の敵にもならないことを意味する。そうした宣言は、武力を持つ国からは脅威とはならない。しかし、日米同盟によってアメリカという核を持つ国の仲間とみられることによって、日本は敵国とみなされることになった。

 

全世界に向かって、我が国は、今後、永遠に中立国であることを宣言すれば、北朝鮮による攻撃の脅威もなかっただろう。

 

 

憲法改正は、①日本の軍国主義復活へ続く道であり、②国民主権の放棄につながる。それは国家の為政者が、国民を自分たちの都合の良いように縛り上げる方向にリードしようとするものだ。

憲法は日本が考えた草案をもとにアメリカが助言して作ったものだ。決してアメリカによって一方的におしつけられたものではない。

また、憲法にある国民主権は、政府の暴走を止めるために為政者を監視するためのものでもある。それを改正してひっくりかえそうという目論見がある。それによっコミュニケーションの自由を国民から奪い、さらにその時々の政治家のマスメディアのコントロール下において、国民を洗脳しようとまでしている。

憲法改正が、時代にあわないなどと言っているのは、結局、大日本帝国時代の、軍国主義の復活を目論む一部の政治家のたわごとに過ぎない。それを極右といい、賛同するのは、戦争体験を知らない者が、ただ単に戦争というお遊び感覚で、日本を強くしたいだけなのだ。

また、原爆の悲劇が起きるのは、国民だれもが、もう見たくないと思っているのじゃないですか? だったら、軍隊も、日米同盟も、もういらない。

 

補足

 

武力を放棄すれば、攻撃されると思っている人たちは多いだろう。

そもそも、攻撃する動機は、他の信条集団に対して、恐れているからである。

 

何をされるのかわからない、という恐れが、人を武力に引き付ける。

戦争とは、恐れと恐れとの戦いだ。

 

また、自分とは違う意見の人たちを排除しようとするのも、恐怖からくるのである。

自分たちの生活が脅かされるのではないか、違う意見のヒトとは相容れない、という心の背景には、自分自身への不信がある。

 

絶対に信じるものがないから、絶えず不安におびやかされ、すると他人を支配、自分の信条でコントロールすることで、安心感を得ようとする。

そういった人々の集まりだから、戦争と平和が絶えず入れ替わって、歴史をつくっいく。

 

結局は、この世界の人々の大半は、

①他人に対して絶大の信頼を得ていないこと、

②自分自身を真に愛していないこと

③ありのままの自分を受け入れてもらえなかったこと

などが挙げられる。

 

これらの事柄が積み重なって、他人に対する不信感につながってゆく。

そうして、いわゆる他人を痛めつけるような行為は、結局は自分自身への不信感の裏返しなのだ。凝り固まった信条や、家族、一つの国家に固執するのも、それにしがみついていないと、自分の自己同一性を保てないからだ。その偽りの自己にさらに固執し続けるために、結局他人と常に争わねばならなくなってしまうのだ。

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2017年8月13日 (日)

洗脳と自己選択

時代が変わろうとしている。

それなのに、相変わらず洗脳され続けている人たちがいる。

そう言って、何に洗脳されるかで、人生は大きく左右される。

 

洗脳れたくなければ、情報という情報を一切遮断すればよいのだ。

そうできないのは、私たちがメディア社会の一員だからだ。

 

誰の言うことを信じようと、信じまいと、世の中の流れは

最後には、大自然である地球に従わざるを得ないのだ。

 

どんなに立派と思われる社会を構築しようと、

どんなに一部の一握りの人たちだけが豊かに潤う世界を

人間が意図しようと、

地球という大自然はその意を介することがない。

 

地球に存在するすべての生物は

その環境にみずからの命を委ねられているからだ。

 

人は自分自身の直観に従って

何に洗脳されてもいいのか

そうでないのか

賢くならねばならない

 

そうでなければ

情報の波の中で

自分の意に合わない洗脳を受け

結局、不本意な人生に甘んじてしまう。

 

人は自らの経験と直観を頼りに

何に従っていきたいのか

決めていかねばならない

そういった意味で

 

人は自分自身の人生に責任を負っている

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