人は自分で知らないうちに、カルマを作っています。良いも悪いも自分に降りかかっている状況を自分で納得したとき、そのカルマは、自然に解消することができます。
では、自分で作ったカルマを作る段階で意識していればいいのですが、残念ながら、人は行為の結果からしか学ぶことができない存在です。
そこで、今日は行為のなかで、カルマを解消する方法を紹介します。解消といっても、実際には、いつも同じ過ちを呼び起こしてしまうといったことに対しての対処法ととらえてみてください。残念ながら、この方法は自分でも実践が難しい方法ですが、どうしたら同じ過ちから抜け出せるかを理解するのとしないのでは大きな違いがあります。
前回に紹介した「ニューウーマン誕生」からの引用ですが、アマゾンで図書の確認ができていません。
全面的に行為の中に入ることが、行為から自由になることだ。
行為から自由になる必然性は、良いことが自分の周りに起きているときは何の問題もない。しかし、不幸続き、不運続きだと、なかなかその状況から抜け出せないということが起きる。その状況から抜け出す方法を知っているということは、大事なことです。
幸福なら幸福で、不幸な人の前で、色々心を痛めることになる。
そもそも不幸からも幸福からも自由であることが、身を軽くすることにつながっている。
カルマができるのは、人がそのなかに全面的にいないからだ。もし、そのなかに全面的にいたら、それは痕跡を残さない。何でも全面的にやれば、それは終わる。そうすれば、その心理的な記憶を持ち運ぶことにはならない。何でも不完全にやれば、それが人につきまとう。いつまでも続く。それが思い残しだ。そして、マインドはそれを続けたい。それをして完結したい。
マインドには、ものごとを完結したいという大いなる誘惑がある。どんなことでも完結すればマインドは消える。もし、ものごとを全身全霊でやり続けたら、ある日、突然、マインドのないことに気づく。
思考とは、過去における未完な行為の蓄積だ。
マインドについては、人の夢や理想、願望といったものすべてを抱く個人のこころということです。人がこの世界に何度も生まれ変わるのは、このこころのおかげです。
一方で、このこころのせいで、人はこの世界に振り回されて生きている。この世界は色んな人の夢や願望が衝突しあって成り立っています。だから。幸福の数と不幸の数がバランスよく保たれています。
例えば、誰かと、まだ一緒にいたいのに別れなくてはならなくなった時、それはカルマとなって残ります。人は自分の意思に関わらず、どうしようもない状況でカルマを作ってしまうことの方が多いと思います。だからこそ、そのような状況から抜け出すためにも、この世界で生きる自分を冷静に見つめる自分を探す必要があるのです。それが自分探しの旅ということでもあります。冷静な視点で人生を見つめ直した時、それがカルマからの自由の第一歩になるのだと思います。
最近のコメント