書籍・雑誌

2008年7月13日 (日)

タントラの変容(書籍)

副題、サラハの王の歌、これは光明を得た女性と暮らしたサラハの王の歌をもとに、和尚が語った瞑想と愛の道のメッセージです。夫婦や恋人の問題を抱えた探究者の質問の核を掘り下げ、個々人の内的成長への鍵を明確に語ると紹介してあります。

表紙にはこうあります。

これはタントラのメッセージだ。

抑圧された生を生きてはならない。

表現の、創造性の、喜びの生を生きなさい。

自分の自然な生とともに

自発的にすすんでいけば

ある日、あなたは

神聖なるものの扉に到着する。

        - 和尚

タントラの変容:市民出版社(2000.12)

これもネットで見つかりませんでした。

人間は覚醒しない限り、愛にの人になれないことを語っています。和尚が紹介する覚者にはサハジョという女性がいます。光明を得るということは特別ではありますが、誰でも無限に近い時間をかければ達成することができるといいます。

多くの男女が抱える問題の本質について、この本から後日、色々と紹介させていただきます。

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2008年7月12日 (土)

自己証明

私たちは、なぜ他人のことが気になるのだろう。隣、近所さんだけでなく、芸能人、海外での出来事や報道‥。外の世界のことはエゴの肥やしになる。他人のしていることは自分もしたい。他人の持っているものは自分も持ちたい。他人の不幸を知ることで、自分の生活はまだましだと確認したい。それらはみなエゴ(自我)の肥料になる。

同時に自分はひとかどの人物になる(みせかけ上)ことで、他人の注目を浴びたい。称賛されたい‥要するに認めてもらいたいのだ。

エゴは自分を認めてもらうためには何でもする。たんに仲間になって喜びや悲しみを分かち合いたいと思っているだけではない。自分がここにいるよって誰かに自分の存在を知ってもらいたいのです。

今日は一休禅師の言葉から、和尚が解説した本を紹介します。一休さんといえば、テレビにでてきた、とんちこ坊主を連想しますが、実際は彼の生き方は周りの人から見れば普通ではなかったらしい。その辺は別の書を探してください。この本は1988年に購入したものですが、これも現在ネットでは見つかりません。あしからず。

以下、「一休道歌:めるくまーる社」から引用

(一休の詩)

みな人のねはん常楽しらすして

生死無常をなげくあはれさ

人々の嘆きとは何か? 彼らの惨めさとは何か? 彼らの惨めさとは、彼らが自我を創り出してしまったことだ。彼らは創り出さずにはいられなかった。なぜなら彼らは自己を知らず、そして人は自己なしでは生きることができないからだ。彼らは自分が誰なのか知らない。が、人は自分が誰なのか知らずに生きることはできない。存在することはできないー ではどうするか? 彼らは偽りの自己を創り出した。

本物を探究することは骨が折れるように思われる。人工的な、人為的な、まやかしの自己わ創り出すことはひじょうに易しく思われる。私たちは代用品としての自我を創りだした。それは私たちに私たちは自分が誰なのかを知っているという感覚を与える偽りのセンターだ。が、その偽りの自己は絶えず危機にさらされている。それは偽りだー。それは絶えず支えておく必要がある。

つねに憶えておくがいい、もしあなたが何かを絶えず支えねばならないとしたら、それは偽物だ。本物はひとりでに存続する。偽物は維持されねばならない。自分が支えなければ消えてしまうと絶えず心に留めておかねばならないとしたら、それはたんにそれが偽物であるという意味だ。

本物は立ち去り得ない。それはどこへも行きようがない。本物は在り続ける。考えてごらん。あなたは何百万もの生にわたって自己自身を見入ってはいない。依然それはそこにある。それはあなたの支えを必要としない。それはあなたの基盤そのものだ。それがあなたを支えている。 それがあなたの支えを必要とするはずはないだろう? が、自我にはあなたの支えが必要だ。

人間のエゴは自分の本来の顔、永遠であるはずの自分自身を知らないが故に、忘れてしまったが故に、作りだされたものだと和尚は云う。私たちが、他人と比較したり、しあわせを確認しあったりしているのは、本来の自分を知らないからだ。そういう視点で日常の物事をみてみれば、私たちの行動の多くが、どれだけばかばかしいものかに気づくのである。私たちは、自分が誰なのかをまだ知らない。しかし、愚かなこと、ばかばかしいことに気づいたら、それに力を貸すのは止めよう。そうすることで、より、本当の自分に一歩でも近づくことができるのだから…

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2008年4月27日 (日)

責任

人は何か不利益があるたびに、それは誰の責任かと問う。功利的、打算的な物差しで人を見ないなら、自分の生に全ての責任があることがわかります。以下、「黄金の華の秘密:めるくまーる社」から紹介します。

黄金の華の秘密

責任とはなんだろう? 真の責任は神への責任に他ならない。あるいは、真の責任は自分自身の本性への責任に他ならない。あなたは社会や教会や国家に責任を負っているのではない。あなたに家族や社会に対する責任はない。あなたが責任を負わねばならないのはただひとつ、それはあなたの本来の顔、あなたの本来の実存だ。その責任を取ることで、他のすべての責任はおのずと果たされる。

自然になりなさい。自然な人間は責任を負うことができる。なぜなら、彼は感応するからだ。自然ではない人間はけっして感応しない。彼はたんに反応するだけだ。反応とは機械的であるという意味であり、感応とは、臨機応変に応答することをいう。

感応とは何か? 感応とは、その瞬間に起こるプログラムされていない生の体験だ。あなたは花を見ている。観念で目をふさがれることなく、しっかり花を見つめている。あなたはこの花を、その現前を見ている! 知識はすべて脇によけられている。こころは感応し、頭は反応する。責任はこころから生まれる。

思考がないと、エネルギーが内部に蓄えられて、そのレベルがどんどん高くなってゆく。あなたは一種の飽和状態になる。その満たされた状態において、こころが感応する。そうなったら生は詩的になる。そうなったら生は音楽になる。そこではじめて、みずからの言葉を行為によって実証するという奇跡をおこなうことができるようになる。そうなったら「君を愛しているよ」というだけでなく、あなたの存在そのものが愛の証となる。そうなったらあなたの言葉は無力なものではなく、そのなかに魂を宿すようになる。あなたの言葉と行動が一致するとき、あなたの言葉と行動がちぐはぐにならないとき、あなたの言葉が誠実さで満たされるとき、あなたが、自分の言った通りのものになるとき、-そのような生のみが生きるに値する。

ここで、著者は何も家族や国家に責任がないといっているのではありません。自分自身の生きざまに責任の取れないでいる人が、どうして家族や友人、国家に対して責任を取ることができようか、と言っているのです。自分自身を偽らず、自分に対して誠実に生きることが望まれます。誤解しないように、いつも正直だとか、欲求のままにという意味でもありません。責任ということも、自分自身を愛しているのかどうかを問われています。それはいつも自分自身を見つめることからでしか始まりません。

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2008年3月29日 (土)

カルマの解消

人は自分で知らないうちに、カルマを作っています。良いも悪いも自分に降りかかっている状況を自分で納得したとき、そのカルマは、自然に解消することができます。

では、自分で作ったカルマを作る段階で意識していればいいのですが、残念ながら、人は行為の結果からしか学ぶことができない存在です。

そこで、今日は行為のなかで、カルマを解消する方法を紹介します。解消といっても、実際には、いつも同じ過ちを呼び起こしてしまうといったことに対しての対処法ととらえてみてください。残念ながら、この方法は自分でも実践が難しい方法ですが、どうしたら同じ過ちから抜け出せるかを理解するのとしないのでは大きな違いがあります。

前回に紹介した「ニューウーマン誕生」からの引用ですが、アマゾンで図書の確認ができていません。

全面的に行為の中に入ることが、行為から自由になることだ。

行為から自由になる必然性は、良いことが自分の周りに起きているときは何の問題もない。しかし、不幸続き、不運続きだと、なかなかその状況から抜け出せないということが起きる。その状況から抜け出す方法を知っているということは、大事なことです。

幸福なら幸福で、不幸な人の前で、色々心を痛めることになる。

そもそも不幸からも幸福からも自由であることが、身を軽くすることにつながっている。

カルマができるのは、人がそのなかに全面的にいないからだ。もし、そのなかに全面的にいたら、それは痕跡を残さない。何でも全面的にやれば、それは終わる。そうすれば、その心理的な記憶を持ち運ぶことにはならない。何でも不完全にやれば、それが人につきまとう。いつまでも続く。それが思い残しだ。そして、マインドはそれを続けたい。それをして完結したい。

 マインドには、ものごとを完結したいという大いなる誘惑がある。どんなことでも完結すればマインドは消える。もし、ものごとを全身全霊でやり続けたら、ある日、突然、マインドのないことに気づく。

思考とは、過去における未完な行為の蓄積だ。

マインドについては、人の夢や理想、願望といったものすべてを抱く個人のこころということです。人がこの世界に何度も生まれ変わるのは、このこころのおかげです。

一方で、このこころのせいで、人はこの世界に振り回されて生きている。この世界は色んな人の夢や願望が衝突しあって成り立っています。だから。幸福の数と不幸の数がバランスよく保たれています。

例えば、誰かと、まだ一緒にいたいのに別れなくてはならなくなった時、それはカルマとなって残ります。人は自分の意思に関わらず、どうしようもない状況でカルマを作ってしまうことの方が多いと思います。だからこそ、そのような状況から抜け出すためにも、この世界で生きる自分を冷静に見つめる自分を探す必要があるのです。それが自分探しの旅ということでもあります。冷静な視点で人生を見つめ直した時、それがカルマからの自由の第一歩になるのだと思います。

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2008年3月 9日 (日)

幸福と至福

あなたは幸福と至福の違いがわかりますか?

そして、この自分の人生にこのどちらをを求めていますか?

「イーシャウパニシャッド:市民出版社」から幸福と至福について書かれていることを紹介します。

幸福と至福の違いはなんだろうか?

幸福は楽しいものだが、常に束縛であり続ける。

至福を望むものは、自由の最高の形態を望む。

幸福はどれほど深く大きいものであっても、確実に消えていく。

どんなに長く続いても、確実に終わりがある。

光明、至福には始まりがある。だが、終わりはない。

天国、幸福には始まりも、終わりもある。

地獄には、始まりがなく、終わりだけがある。

もう一度繰り返させてほしい。

地獄には始まりがない、惨めさには始まりがない。

幸福は始まりうる、今はないにしても

地獄には、始まりはない。が、それは終わる。

天国には、始まりも終わりもある。それは始まり、そして終わる。

光明(至福のこと)には始まりしかなく終わりがない。

ひとたび始まれば、終わりは来ない。

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2008年3月 3日 (月)

誠実さ2

誠実さについて、以下は「こころでからだの声を聴く:市民出版社」から抜粋し、まとめたものです。

自分に誠実であることを心がけなさい。

それにはと゛うしたらいいのだろう?

第一点

人の言うこと、あなたに向ってこうありなさいと言うことを聞いてはいけない。

常に自分の内なる声、自分がこうありたいと思うものに耳を傾けなさい。

さもないと、あなたの一生は無駄になる。

第二点

仮面をかぶってはならない。

怒りを感じたら怒りなさい。泣きたいときは泣きなさい。心から泣けない人は心から笑うこともできない。

仮面をかぶることは、身体のあちこちに不調を生じることにつながっている。

第三点

真正でありなさい。

常に現在にいること。過去のことをくよくよしたり、まだ来ぬ未来のことを思い煩ってはいけない。今、起きてることの瞬間にとどまっていなさい。

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2007年11月14日 (水)

精神世界に関する本3

ヒプノセラピーというのがあります。

催眠療法で幼児期、さらには過去世へとさかのぼり、その時々に体験したことで、後悔したこと、自分の犯した過ちなどを改めて見つめ直して、今の自分自身を見つめ直すきっかけにするのです。

紹介本としては、催眠療法レポート「ヒプノトラベル」榊めぐみ原案というコミックがあります。

全五巻で、実際に筆者がヒプノセラピストで、クライアントの症例をもとに、漫画化されています。

自分の過去世をみつめることで、現在の自分のいる意味がわかり、今後どうしていけばいいのか深く考えさせられました。

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2007年11月13日 (火)

精神世界に関する本2

今回は、人生についての本を紹介します。

「人生の創造」「人生の癒し」「人生のしくみ」

いづれも徳間書店から、著者は精神科医の越智啓子氏

越智啓子氏については、これもほんとうにあった怖い話コミックスで「不思議クリニック」

というコミックから読みあさっていました。

精神世界に入っていくのに楽に読み進められる書として紹介しました。

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2007年11月11日 (日)

精神世界に関する本

翼猫が愛読している書籍類を紹介します。

和尚の書籍

市民出版社からたくさん出ていますが、取り敢えずおすすめなのは「タントラ秘宝の書」全10巻です。これは、私が自己啓発のために読んできた愛読書です。タントラの112余りの瞑想技法をここでは紹介しているのですが、自分にとってもっとも合った瞑想法をみつけて実践するのが良いと和尚はいっています。

私はまだ自分に合った方法をみつけていません。

コミック本

少女マンガで月間コミックで「本当にあった怖い話」というのがあるのですが、それを書店で読んでいたら、魔百合の恐怖報告シリーズで朝日ソノラマから、20巻ほど出ています。

これは多分実話をもとにマンガにしたものでしょうが、まず、読者は前世の存在を信じること、人間の魂が死後も続いていくものであることの理解が前提になります。

愛読本の紹介は、これからも続けます。

私も、愛読しているよ、という方がいましたら、情報交換や意見交換などしたいと思います。

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