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2018年1月

2018年1月21日 (日)

友愛

国家の構成単位としての家族はいらないが

友愛を結ぶ相手は必要だ

 

友愛とは、皆ひとつであることを自覚できる意識

友愛は、その人のためにならなんでもできる

その人のどんなことも受け入れることができる

そういう意識状態のことだ

 

友愛を育てるには

家族に等しい間柄をつくること

共に過ごす期間

私たちは、お互いに友愛を育ててゆく

それは国家とは関係がない

そこで一緒に暮らす基準とは

 

「この人と一緒に過ごしたい」

 

明日はどうなるかわからない

そんな気持ちでなくなるかもしれない

そこには

結婚制度にはない

不安定感がある

二人の関係を国によって保障されることがない

 

だからこそ

そこには日々の緊張があり

明日、嫌われるかもしれないという

不安がある

けれどもそれこそ

お互いにずっと好きでいられるための

コミュニケーションが

友愛を育てる下地になる

 

またそれは

常にお互いに感謝し続ける環境を生み

その積み重ねが

二人だけの信頼感を深めていく

 

その揺るぎない信頼感こそが

友愛だ

短くない時間をかけて

一人の相手に結ばれた信頼は

それが支えとなって

他の人とも同様に

信頼を深めていく

 

そうしていつしか

人々は

友愛家族を増やしていくのだ

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2018年1月 7日 (日)

結婚難と離婚率の増加

男女の生涯未婚率が増えている。

これについては、若年層男女の就業が一定しない、非正規雇用であったりと、経済面での不安定要素がある。

一方で、65歳以上の年金生活者は、ぜいたくな暮らしをしない限りは食べていける。

問題なのは、高額所得者が、定年以降にもらえる年金額が多いことである。

大企業優遇税制や、株主配当もそうだが、ほそぼそと預金している者に対しては、ほとんど金利がつかない。これでは政府などない方がましに思えてくる。

 

話をもとに戻して、若者の収入が安定しないことには、結婚を考える女性にとっても敬遠されがちになる。

もうひとつの理由として、これだけネット社会が拡がっている今、お見合いだとか、職場だとか、地域活動だとかで出会う人たちは、一昔前に比べると少なくなってきているのではないだろうか?

特定の誰かに絞って、「この人と結婚したい」とまでいえるには、色々比較する情報に溢れ返っているので、ハードルが高くなっているのだ。

また、男尊女卑や、亭主関白、男女の家族観、価値観の開きが大きくなってきているようだ。少なくとも、男性より女性のほうが、成熟度が増してきているため、相対的に女性の求める理想の男性が少ない現状がある。

 

男はいらないが、子供が欲しくで結婚するケースでは、離婚の可能性も高くなる。

いまや、男女どちらも浮気するのが当たり前になりつつも、それを羨ましがる人たちは、それを許さないために、その手のバッシング記事やブログが人気になったりもする。

 

そもそも、国家を構成する醜悪な家族のもとでは、どんな子供もその時代の思想に合うように、両親から教育され、社会の常識人として適応はできても、本来の自分の個性を伸ばすことはできない。そのひずみが、社会のあちこちに、漏れ出してくるというわけだ。

 

もとより、国家のために家庭があるのでもなく、個人もまた、家族のために生きるのがいつのまにか生きがいとなるようになった。

このような特定の誰かや、社会に対してもたれかかり、依存しなければ生きていけないような社会組織は醜悪である。

自分の生き方や個性が伸ばせるような社会にするために、家族はいらない。

個人と個人の関係も、もっと自由であるべきだ。

 

ひとは色々な可能性をもって生まれてくる。その子供を特定の宗教や信条、思想にかぶれた両親のもとで育てることのどんなに愚かであるか、ちょっと考えればわかることなのだ。

少なくとも、現代社会は、家族意識が希薄であり、また崩壊の方向へ走っているように思われる。そして、今後は家族という構成単位、その延長にある国家という単位が問い直されていくのではないだろうか?

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