« 2017年7月 | トップページ

2017年8月

2017年8月20日 (日)

日本の憂慮

精神世界を探訪する者にとって

自分の住んでいる国に対しては

クールな傍観者であるのが常である。

そうでなければ、冷静な世界の真相が見えてこなくなり

まっとうな判断を狂わせることになるからだ。

 

それでも、一生活者として、憂慮すべきことが別にある。

 

日本国民は、今になってようやく政治家の私利私欲でペテン師的な役柄について

理解し始めてきた。しかし、今となってはもう遅いかもしれない。

スピリチュアル的には、何事も必然的に起こっているので、

なんら心配することはないのだ。

しかし、日本に住む一生活者として、以下の心配事を並べることで

憂慮すべき事態をみんなで避けていく方向に意識が向いたらいいと思う。

 

①政治について

現政権は、経済が良好な方向に向かうように株価を意図的に吊り上げ、アメリカ経済のみかけ上の好調に乗っかって、失業率も減り、好調のようにみえた。しかし、実態とは裏腹に、金融緩和の出口戦略ができない状態でいる。

 

単純に考えれば、政治家は、国民の公僕であり、その税金で給料をいただいているのだから、国民のために奉仕する存在であった。

それが、いつしかお偉い先生と呼ばれ、口利きひとつで大企業や、大口の寄付を受ける利権団体の都合のよい法律ばかり作るようになった。政治は、いつしか、大企業、金持ちのためのものとなってしまった。

 

②若者の意識の希薄

 

戦争体験を知らない人たちは、本当に戦争の悲惨さを知らない。それは私もそうだが、

日本人がどういった気持ちで、終戦後にアメリカと共同で日本国憲法を作ったのか、その経緯を知らないで物言う人たちが多い。

それは、現首相からして、「アメリカに押し付けられた憲法」として勘違いしているところから、それは仕方のないことである。

 

アベノミクスとは、言ってみれば将来の日本の若者たちにつけを回して、現在の経済状態を日銀を飼い犬のように馴らして維持しているだけなのだという実態をもっと勉強してもらいたいと思う。

 

③軍国主義への恐れ

唯一、被爆体験の国日本が、広島、長崎の意を受けて、核を持たない国に核を撃ち込まないという大事な条約をなぜ、日本政府は同意せず、反対に回ったのか?

それほど日米同盟が大事なのだろうか?

当然ながら、政府は被爆者の心身の痛みをわかろうともしていないのである。

 

そもそも憲法にある、「核の放棄による恒久平和」と政府間の「日米同盟」はその締結時点から矛盾している。相容れないこの二つのことが、永延と暗い影を落とし続けている。

武力を持たない平和主義は、ほぼ永世中立国に匹敵する概念であるから、この二つは両方を得ることなどできないのである。

憲法で武力や核の放棄をとなえながら、アメリカの核の傘下に入っているこの最大の矛盾はなぜ起こったのか?

いうまでもなくそれはアメリカの、経済状況が変われば武力を日本に持たせようとするご都合主義の押し付けである。

日米同盟がある限り、武力の放棄はあり得ず、日本国憲法がある限り、軍隊を持ってはいけないという矛盾が、日本の状況を苦しくしている。

右翼とか左翼とかは関係がない、真に日本のためを思うのであれば、足枷になっている日米同盟を何とかすべきである。それができないのは、敗戦国日本が未だにアメリカ依存から自由を得ていないからである。

武力や核の放棄は、誰の敵にもならないことを意味する。そうした宣言は、武力を持つ国からは脅威とはならない。しかし、日米同盟によってアメリカという核を持つ国の仲間とみられることによって、日本は敵国とみなされることになった。

 

全世界に向かって、我が国は、今後、永遠に中立国であることを宣言すれば、北朝鮮による攻撃の脅威もなかっただろう。

 

 

憲法改正は、①日本の軍国主義復活へ続く道であり、②国民主権の放棄につながる。それは国家の為政者が、国民を自分たちの都合の良いように縛り上げる方向にリードしようとするものだ。

憲法は日本が考えた草案をもとにアメリカが助言して作ったものだ。決してアメリカによって一方的におしつけられたものではない。

また、憲法にある国民主権は、政府の暴走を止めるために為政者を監視するためのものでもある。それを改正してひっくりかえそうという目論見がある。それによっコミュニケーションの自由を国民から奪い、さらにその時々の政治家のマスメディアのコントロール下において、国民を洗脳しようとまでしている。

憲法改正が、時代にあわないなどと言っているのは、結局、大日本帝国時代の、軍国主義の復活を目論む一部の政治家のたわごとに過ぎない。それを極右といい、賛同するのは、戦争体験を知らない者が、ただ単に戦争というお遊び感覚で、日本を強くしたいだけなのだ。

また、原爆の悲劇が起きるのは、国民だれもが、もう見たくないと思っているのじゃないですか? だったら、軍隊も、日米同盟も、もういらない。

 

補足

 

武力を放棄すれば、攻撃されると思っている人たちは多いだろう。

そもそも、攻撃する動機は、他の信条集団に対して、恐れているからである。

 

何をされるのかわからない、という恐れが、人を武力に引き付ける。

戦争とは、恐れと恐れとの戦いだ。

 

また、自分とは違う意見の人たちを排除しようとするのも、恐怖からくるのである。

自分たちの生活が脅かされるのではないか、違う意見のヒトとは相容れない、という心の背景には、自分自身への不信がある。

 

絶対に信じるものがないから、絶えず不安におびやかされ、すると他人を支配、自分の信条でコントロールすることで、安心感を得ようとする。

そういった人々の集まりだから、戦争と平和が絶えず入れ替わって、歴史をつくっいく。

 

結局は、この世界の人々の大半は、

①他人に対して絶大の信頼を得ていないこと、

②自分自身を真に愛していないこと

③ありのままの自分を受け入れてもらえなかったこと

などが挙げられる。

 

これらの事柄が積み重なって、他人に対する不信感につながってゆく。

そうして、いわゆる他人を痛めつけるような行為は、結局は自分自身への不信感の裏返しなのだ。凝り固まった信条や、家族、一つの国家に固執するのも、それにしがみついていないと、自分の自己同一性を保てないからだ。その偽りの自己にさらに固執し続けるために、結局他人と常に争わねばならなくなってしまうのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月13日 (日)

洗脳と自己選択

時代が変わろうとしている。

それなのに、相変わらず洗脳され続けている人たちがいる。

そう言って、何に洗脳されるかで、人生は大きく左右される。

 

洗脳れたくなければ、情報という情報を一切遮断すればよいのだ。

そうできないのは、私たちがメディア社会の一員だからだ。

 

誰の言うことを信じようと、信じまいと、世の中の流れは

最後には、大自然である地球に従わざるを得ないのだ。

 

どんなに立派と思われる社会を構築しようと、

どんなに一部の一握りの人たちだけが豊かに潤う世界を

人間が意図しようと、

地球という大自然はその意を介することがない。

 

地球に存在するすべての生物は

その環境にみずからの命を委ねられているからだ。

 

人は自分自身の直観に従って

何に洗脳されてもいいのか

そうでないのか

賢くならねばならない

 

そうでなければ

情報の波の中で

自分の意に合わない洗脳を受け

結局、不本意な人生に甘んじてしまう。

 

人は自らの経験と直観を頼りに

何に従っていきたいのか

決めていかねばならない

そういった意味で

 

人は自分自身の人生に責任を負っている

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年7月 | トップページ