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2017年6月18日 (日)

日本の行く末

政治が混乱している。民主主義の崩壊だ、と言われる。

 

 

さて、今に始まったことではないが、

 

良くも悪くも結局は国民に全責任が覆いかぶさっていくのだろう。

 

自民党政権、特に内閣のマスコミに対して好き放題や、行政の不当な介入ぶりを必ずしも国民は許してはいないだろうが

 

だからといって、それに代わる安定政権を選択できない。

 

それを理由に選挙に投票に行かない人々には主だった特徴がある。

 

一つに、いまのデフレ状態で、それなりの暮らしをしている庶民が多数派であること。

 

一つに富豪層や大企業、大手利益団体から、中小企業の経営者などにとって、阿部政権の経済対策は多大な利益をもたらしていること。

 

一つに母子家庭や非正規雇用者で、選挙に行くことを最初から諦めているの多くの人たちがいること。

 

一つに若者の多くが経済的安定を理由に指示しているのではないかということだ。人権問題よりも雇用の安定が優先されるなど、切実ではあるが、思想や表現の自由のない社会を体験した世代の歴史を聞かされている私たちからすれば信じられないことである。

一つに、若者の多くが抱える、あきらめの気持ちである。「どうせ私一人が投票したって何も変わらない」と思っている若者を含めて、そういう人たちが多いのだ。しかし、一人一人が集団にならなくても、団結しなくても、同じ希望の未来を創るために、腐敗政治に意思表示をすることはとても大切なことなのだ。行動しないことには、何も変わっていかないのだ。そのことを理解できるのはいつなのだろうか?

多様性を認めない社会は戦争に至らずとも、長くは存続しないことを、歴史は教えてきた。私たち世代は、それを子に示す手段を知らない。なぜなら、父親世代が体験してきたことを、子らに、「そのように聞いた」話として聞かせると、まったく説得力のないものに終わってしまうからだ。「人は、体験からしか多くを学べない」とはよく言ったものだと思う。

民主主義が必ずしも最良であるはずもなく、優れた専制国家の指導者によって、国が栄えた歴史もある。しかし、現代は、議会制民主主義の時代であり、しかし、三権分立も崩れ去り、その民主主義も崩壊の兆しをみせている。成熟した社会の大きな問題点は、一部の良識ある国民を除いては、まだ政治に対する期待を抱いている多くの群衆が、悪徳政治を支えようとしていることである。それが意味するものは、物質の豊かさから、精神の豊かさへの過渡期であるということ。つまり、物の豊かさは量によってではなく、その質によって心も豊かさをもたらすということ。それはつまり、今の繁栄社会がもたらす便利さから、一度その有難さを実感するまで、世界が変質していく過程にあるということ。

 

 

うそつきは政治の始まりだというが、このうそが、個人の尊厳をも失わせるような状態になってしまった。うそは恥ずかしいことという美学が政治家によって消え去ろうとしている。しかし、それは日本国民全体の質の低下を反映しているのではないだろうか?

 

社会を変えようとするとき、多数の意志がその力になっている。しかし、無気力、無関心、投票行動に行かない人たちにとって、日本の政治は変えても同じだと思っているか、現状で良いと思っているのだ。

 

 

仮にそうでなくても、国民の総意は現状の政治に反映される。たとえ国民の無知の結果、自分たちの自由が侵害されようと、戦争に巻き込まれようと、それは国民全体がそのような方向に舵を切ったということになる。

 

その方向に向かったとして、一番困ることとは、ブログ上で自由にものが言えなくなることである。

 

そして弱者たる貧しい国民をさらに奴隷状態のように、意見を言わせない体制に持って来ようとしているところに大きな問題がある。

 

 

冷静に状況を把握すれば、日本の国民の多くは豊かさについて考えることもできなくなるくらいに、物質文明に支配されてしまっているということ。それは日本にかぎったことではない。

 

これから世界は、困難な時期を迎えるかもしれない。ただし、それは、今一度、幸せとはなんなのか考える機会を与え、現在よりも住みやすい社会を創るための避けて通れない過程なのだろうか?

 

 

人間関係が希薄になってきたとか、そういうのは、情報が蔓延し、より個々の個性に合ったライフスタイルを選べるということである。そのことは却って家庭という幸せの一形態のモデルを形成しにくくした。個性的な生き方が示されればされるほど、家のつながりは薄れ個人間の人間関係はより、色彩の濃いものになっていく。そのことは自分の個性を生かす場が増えてきたということが言える。

 

 

今の時代ほど、自分の人生を創造するにたやすくなった時代はない。しかし、一方でえに政治の世界では、専制政治、軍国主義など時代遅れの方向に向かっている。そのことは一人一人の個人の意識の高まりの兆しが見えてきたことを示すものでもある。時代が大きく変わろうとするとき、社会は混乱の時期を通ることがある。今はその試練の時が来ているのかもしれない。

 

社会は確かに病んでいる。その証拠として、社会に殺人や強姦などの犯罪が毎日のようにニュースになっていること。

 

一方で、個性を生かす世代が芽を出し、その一方で古いものが叫び声をあげて取り残されないように泣いている。現代は、古いものと新しいものとが混在して不安定な社会に至っているのだ。

 

 

今の社会は病んでいる、その病んでいることに気づくことが、一人一人の個人の中で問われ、意識の高まりを期待されている。それ以外のなにものでもなく、ただ社会に、政治に何かを未だ期待し続けている国民が多数派を示している限り、日本の行く末は決して明るくない。

 

しかし、彼らもまたより豊かな日本を形成するために、一度凋落しなければならない運命であることをを予感しながらも、今の決して幸せではないけれど便利な世の中にしがみついていたいのかもしれない。便利であればあるほど、豊かな人生とは何かを問われる世の中になっているのだ。

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