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2015年3月

2015年3月 6日 (金)

なぜ欲望から解放される必要が?

この世に生かされている理由のひとつには

神様から授かった能力を、個人として表現し、その喜びを分かち合うことだという。

もうひとつは、自我の欲望から解放され個人として死に、宇宙とともにあること。

それは自分がやってきた源への回帰である。

欲望から離れることは、すなわち執着心をなくすことでもある。

この執着心はマインドの一環なのだが、これがひとを寂しくもさせ、つらく悲しい思いをさせたりもする。

人の数だけある欲望は、その数だけの悲しみで覆われている。

なぜなら。人それぞれの欲望に色彩られた思いはみな、お互いの気持ちを分かり合えるのをじゃまするから。

しかし、じゃますることで、人は、自分が孤独でひとりぼっちであることを自覚する。

そして、このひとりぼっちの自覚から、一歩踏み出して、我(われ)という立場に捕われない純粋な願いのあることを知る。

その純粋な願いこそ、自分がこの世でできる皆で「喜びを分かち合うこと」であり、そのためにできることは自分が「無心」にならなければならないということだ。

その「無心」になるために、人として味合わなければならないさみしさや悲しみはどれだけ多いのだろうとも思う。

このように考えてしまっている今の私は、まだあのときから一歩も前に進んでいないのかもしれない。

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