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2013年6月

2013年6月 1日 (土)

人生の目的(4)

宇宙と戯れる事ができる、自分の生とはどんなものなのだろう?

そうすることが可能になるのは、自分の帰る場所を知っていることが前提となっている。帰る場所があるから、帰る場所がわかっているから、遊んでいる「今、ここ」を謳歌することができる。

私たちが、旅を楽しむことができるのは、帰る家があるからである。

聖書に羊飼いの話がある。

イエス、言う

「神の王国は、100頭の羊をもった羊飼いに似ている

そのうちの一頭が

いちばん大きい一頭が道に迷った

羊飼いは99頭を後に残し

その一頭が見つかるまで

探し求めて歩いた

羊飼いの話しは、神がさ迷う一頭の子羊を探すことからはじまる。

私たちの作った社会は残りの99頭が住む、お互いに依存し合う社会である。

私たちは無目的の生を得るために、(そう思い込んでしまっている)旅を続けなければならない。常に明日の事で頭の中がいっぱいで、今ここにとどまる事はできないでいる。

旅人である私たちは、①生活の糧を得るために生きている。一方で私たちは②自分捜しの旅を続ける旅人である。自分に合った生き方は何だろうと?自問自答しているのだ。

自分捜しの旅とは、帰るべき自分の家を見出す道程に他ならない。イエスはこの、自分捜しの旅をする迷える子羊のことを気にかけている。

和尚いう

肉体的な必要が゜すべて充たされたときにのみ、エネルギーは上に向いていく。

私たちの今の社会は生活の糧を得ることに精一杯だろうか? そうではないから、人は自分らしい生き方を求める余裕もでてくるのだ。

和尚いう

インドでは、仏陀もマハヴィーラも国が非常に豊かだったときに生み出された。それ以来、いわゆる聖人たちが存在してきたが仏陀のような人はいない。‥ 

なぜならあのような開花は、そこに余剰のエネルギーが、使われることのないエネルギーがあってはじめて可能なことだからだ。そういったときにはじめてエネルギーは自らを楽しみはじめる。そしてエネルギーが自らを楽しみはじめるときには、それは内側に向かい始める。それは内なる転換だ。そうなったらそれは瞑想になる。‥そのときには、それは歓喜になる。

分捜しの旅は、自らの内なるエネルギーを発見し、そのエネルギーと戯れることができるようになるための旅でもある

イエスいう

すっかり疲れ果てながら

彼はその羊にいう

私はおまえを他の99頭よりも愛す

神は自分を探している。しかし、それは社会から離れた、独りの、個としての迷える子羊になった自分をである。その自分を見いだしたとき、人は自分の中に神を見いだし、愛のエネルギーで溢れるようになる。

それ以前では、人は決して誰かと分かち合えるような愛を注ぐことはできない。なぜなら、

それ以前では、自分のなかに溢れるほどのエネルギーの存在も発見されていないのだから。

自分の家を見出した時、人は愛で充たされ、人は真に宇宙とたわむれることができる。人生と遊ぶことができる。人はそこで、無目的の生を生きるのだろう。

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