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2013年5月18日 (土)

人生の目的(2)

人生には何の目的もない、と言い切ることができるのなら、そこには宇宙との戯れが待っている。しかし、現実に私たちは、生を楽しむどころか、悲壮でつらく悲しいものと映る。

ここに、私たちが、人生に目的を持たなければならないパラドックスがある。

目的意識があるということが、自分の人生を充実させる。

それは、目的意識を持つことが、世界で生きる意味と理解の深みをもたらすからである。

そもそも、なんで私は生かされているのだろう?

と考えるその問いが、本来の存在である自分自身に気付くための旅の道程なのだ。

私たちは、宇宙と戯れる目的のない生を生きている。そのことに気づくために、私たちは個別に存在している。そして、その気付きを得る道のりにさまざまな目的が発生する。

その目的は、現在の私たち自身が招き寄せたものだ。そして、目的が発生したなら、もう答えは導き出されている。終わりの無い始まりは無い。答えのない問いもない。そして、もう問う事もなくなったとき、私たちはそこで初めて無目的の生を生きる事ができる。

オショーは無目的の生はいま既に起こっていると云う。

しかし、私たちは常に何かに囚われて生きている。このことが、目的意識をもたらす。

そして、目的意識がある限り、囚われの身から開放されることはない。

目的をもって人生囚われて生きるのも悪くない、そう思えるまで、私という人生の旅は続く。

人は、自分は目的意識を以って生きている、という。その背後にはひとは無目的の生を生かされているという現実がある。人の目的意識は、それが無目的の生をゴールにできない理由がここにある。

私たちのなかに目的意識がなければつまらないものになってしまう。しかし、それは旅を充実させるための手段であって、決して自分自身を知る手助けにはならない。しかし、旅が充実したものにならなければ、決して無目的の生に気づく事もできない。

なぜなら、生を楽しむことこそ、無目的の生への入り口であり、そこが旅の終点でもあり、神秘への入り口でもあるからだ。

結局、私たちには、やはり目的意識が必要ということなのだ。

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