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2013年5月10日 (金)

人生の目的(1)

弟子がオショーに人生の目的を質問したところから始まる。

人生の目的は何ですか?

なぜ私たちは、ヨガや、いろいろな瞑想テクニックや、苦しい行をしなくてはならないのですか? 人生における使命とは、何であるべきなのでしょうか?

オショー答える。

 

生は、解くことのできない神秘だ。もし説明できるなら、神秘などではない。生の中に、使命などというものはない。なぜなら、神秘に使命などありえないからだ。ただの戯れ、リーラだ。この全存在は、ただエネルギーの戯れだ。戯れとは、無目的な何か、あるいはそれ自体が目的である何かを意味する。達成されるべきものなど何もない。まさに行動そのものが、達成だ。生は、なんの使命も持たない。というのも、生それ自体が、達成だからだ。だからあなたは、様々に生きることができる。たくさんのことができる。それはすべて、たんなるエネルギーの流出、目的のない宇宙の戯れだ。だからこそ神秘なのだ。

生の中に、使命などというものはない。

僕たちが「使命」だと言ってきているものは何なのだろう?

それは、自我という想念の固まりが、何度も生まれ変わっていく過程の中で、「次は叶えられなかった想いをやり遂げたい」と強く願望することから始まる。前生でやり残した色々な感情に色彩られた想念が、今生での使命感を生むのだと思う。

この全存在は、ただエネルギーの戯れだ。戯れとは、無目的な何か、あるいはそれ自体が目的である何かを意味する。

生まれ変わりは時間空間という場が提供されることによって、想念が形を変えて展開する。

想念が、「もう思い残すことが無くなった」状態のとき、人は本来の「生」を生きるようになるのだろう。それは、オショーの云う「無目的の生」。何の条件もない生を生きてこそ、人は楽しむことができるのかもしれない。

生それ自体が達成だからだ。

人生が何の目的意識もないとき、人は生そのものと戯れることができる。それは生ける神人だ。いや、それ以上かもしれない。肉体を持たない神でさえ、「真我=アートマン」を携えている。宇宙はこの真我の夢の結果現れたものだという。この「真我」がよくわからない。

僕なりの解釈では、「真我」とは、宇宙を創生する力であり、場をつくる源なのだと思う。それは、「独りあること」の「独り」とつながっているような気がする。それ以上の追及は単なる自我の好奇心を満足させるものでしかないのだ。

だからあなたは、様々に生きることができる。たくさんのことができる。

しかし、現実の私たちはそれができないでいる。なぜなら、様々な、(個々の)自我の想いに縛られて、限定された世界を自ら(それを自覚しないで)選択しているから・

独りある自分が、自らの生を生きる時、それは無目的な生であり、無選択の生であるべきだし、そうならざるを得ない。その結果、生は

たんなるエネルギーの流出、目的のない宇宙の戯れだ。

ひとは、そこではじめて永遠の今を生きることが出来、宇宙と戯れることができるのだろう。

和尚、云う

生は解くことのできない神秘だ。

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