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2013年4月19日 (金)

独り在ること(2)

独り在ることとは何なのだろう?

それを生きていない僕は、何を言うこともできないのだが、例えば、幼くして、家族を亡くしてしまった孤児たちはどうやってこの先、生きていくのだろうと、自分のこととしてみたら、胸が張り裂けそうになる。

オショーいわく

あなたはすでに神とひとつであるからだ。あなたの全面的な「独り在ること」が、あなたが神であるということの理解であり、あなたが神とは別々ではないと言う理解そのものなのだ。

そうだ、神とひとつであることが実感できれば、私たちは、決して寂しくない。誰かがいつもそばにいなくても強く、たくましく、生きてゆくことができるのに‥

けれども、社会は僕たちに、奴隷であることを強いた。その中で生きていくことが宿命だと。奴隷というのは、両親ひとつとっても、血のつながりで縛られている。血のつながりということであれば、日本に住んでいるわたしたちは、皆遠い親戚であり、みなつながっているのだ。

思えば、家族は何も血のつながりがなくてもいいのだし、自分の父や母と呼べる人を他に選択してもいいし、その人たちから学べ、そして尊敬できるのなら、彼らを先生と進んで呼んでも構わない。父親とか母親とか、現代では保護者の義務すら放棄してしまう人たちが増えてきている。彼らは、子供を生む資格などない、と言ってしまえばそれまでだが、別の見方をすれば、自分を成人になるまで養育してくれるのであれば、里親を望んでいる人たちの中から、もっと簡単な仕組みで選ぶ事ができる社会になってほしい。それが可能になった時、震災孤児や、施設にあずけられて肩身の狭い思いをして住んでいる孤児の数も少しは減らせるのではないだろうか? 養育放棄の両親や、虐待によって虐げられている子供を少しでも減らす事ができるのに。

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