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2012年9月

2012年9月23日 (日)

責任と魂

人間は、その魂を確実に感じられるようになると、神様になる。この神様とはどういうことなのかよくわからない。

自分の生活の安全の保証を誰かにしてもらおうとか思っている間は、神様には決してなれない。自分も世界に生きる一人の存在として、世界に起きているさまざまな出来事には責任がある。東日本大震災が起こってから、そこで暮らす人々のその後のつらさを自分の事のように感じ、何かをしないではいられない人は、それだけで尊い存在だ。自身は、いつ自分に起きてもおかしくない。

戦争が絶えない世界はどうして続くのだろう?

なぜ、領土問題でいつもいがみ合わなければならないのだろう。

こうした出来事の一つひとつ、その不幸な出来事に対して自分のこころの在り方が問われている。

「わたしには関係がない」

などと言っていられる人は、自分の魂を限りなく曇らせているひとなのだろう。

シリアで銃弾をたくさん受けて亡くなられた山本美香さんは、あんな恐ろしい場所で

何年か前にもジャーナリストが犠牲になったにも関わらず、どうしてリポートを続けなければならなかったのだろうか?

それは彼女にしかできないこと、伝えられないことがあった、彼女ほど、その場所に行く使命に見合った人はいなかったからなのだろうか?

世界中で起きる悲しい出来事の数々が、その一端に自分の日頃の憎しみや恨みや、浄化されない想いにも原因があるとしたなら、そのことを知ったならどうだろうか?

ひとは最初から使命感を持って生まれてくるのではない。その人の自分の中の魂が見えてくる度合いに応じて使命感が生まれ、自分がいま、この場所に居ることの意味を知っていくのだと思う。

私もあなたも、いずれは自分の使命感から行動すべきときが来る、その前に自分がいまここに生きてあることの意味から知ってかかろう。

いずれは私たちも、世界の不幸な事件の数々に対して、自身の責任感から使命感を帯びて生きていくことになるだろうから。

普通私たちは、神は私たちに責任があると、全体は私たちについて責任があると感じている。ブッダは片方の極端まで行き、言う。「私は<全体>に対して責任がある。世界に醜さが存在するなら、私はそれに対して責任がある。なぜなら、私がそれを作ったからだ。もしこの世に憎しみが存在するのなら、その責任は私にある。なぜなら私がそれを作ったからだ。愛を選択できる時に、私は何度も何度も憎しみを選択してきた。私は、憎しみ、怒り、肉欲を選択してきた。そして私が選択すると、ほかの者がそれと同じものを選んでしまう環境を作ってしまうのだ。」

自分のことは自分に責任があると感じるのなら、あなたは魂となる。もし自分には<全体>の責任があると感じれば、あなたは神となる。その時障害は存在しない。あなたは<全体>となったのだーーー 「他」は消えうせたのだ。

「グレートチャレンジ、和尚(市民出版社)

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