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2012年6月23日 (土)

ありのままの自分(3)

和尚の云うところの「ありのまま」とはどんなだろう

?

それは人間の心の内面にも存在する「ひとりでに生まれて育つ無為自然の規律」ということになる。

和尚は老子の言葉を借りて秩序は世界の中に本来備わっている―― いつでもそこにある。秩序を創り出そうとすると、無秩序を創り出してしまう。きっと彼はこの私のことを、無秩序を創り出していると思っているだろう。しかし実際には、彼のほうが無秩序を創り出しているのだ。私はあらゆる強制的な秩序に反対する。私の尊重する物は、ひとりでに生まれて育つ無為自然の規律だ。他人がそれを強制する必要は無い。」

政治の世界が乱れている。といっても今に始まったことではない。そもそも一億以上もの国を統治することなどどだい無理なのではないか。なぜなら、色々な考え方、利害関係を持ち、さまざまな立場の人間たちの集団をまとめようとすると、皆が平等に経済活動できるような法律などあり得ない。だれかが得をし、誰かが我慢を強いられるという社会の仕組みはこの先もずっと続いていくのだろう。

いま、求められているのは、個々にとっての本来の豊かさ、物質的なものではなく、一人一人にとっての豊かさの質が議論されなければならないはずだ。誰も国民の豊かさの統治などできるはずがない。そして、そのことがわからない限り、我々国民は、いつまでたっても、国の政策の一つ一つに依存し続け、希望と失望とをくり返すはめになってしまう‥‥。

和尚は続く

「タントラでは物事をこのように見る。タントラにとって無垢は無為自然、サハジャータだ―― つまり、強制されることなく自分自身であること。シンプルに自分自身であること、木のように成長することだ。‥‥ 内側の法則で充分であり、そのほかに法則はいらない。もしほかの法則が必要なら、それはあなたが内側の法則を知らないということであり、その法則との接触を失っているということだ。」

私たちはこの内側の法則との接触を見失っているために、社会は混迷を続けている。

本来のわたしたちは、この内側の法則にしたがう存在であり、それは絶対的な善であり、それこそが「ありのままの自分」の姿であり、そこに人間に、動植物に対する絶対の信頼があるのかもしれない。

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コメント


強制されることなく自分自身であること。シンプルに自分自身
であること、木のように成長することだ。‥‥ 内側の法則で
充分であり、そのほかに法則はいらない


素直に、同感いたします
時に、忘れて自分自身でなくなるときがありますが、
いつでも、この位置に戻ればよいと感じております


ありがとうございます

投稿: ponsun | 2012年6月24日 (日) 07時37分

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