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2012年5月12日 (土)

依存と恐れ

恐れの正体のひとつに、依存がある。

職場への依存であれば、退職する、させられることへの恐れ、友人や恋人であれば、裏切られ、失望されて別れられてしまうことへの恐れ。家族ならば、その中の誰かが病気か突然の事故で亡くなってしまうことへの恐れなどがある。

これらは、恐れというより普段は漠然とした不安感となって表れていることが多い。

とにかく不安を感じ続けているなら、その不安の大きさに応じて、人は誰かに依存し、そして執着している。

私たちは、人生ほ荒波にもまれず、平和でしあわせのうちに穏やかに過ごしたいと考えている人が多いと思う。毎日が、何が起こるかワクワクして過ごす人は少ない。

恐れのなさを体得している人は、この社会の不安定であることを認め、世界が絶えず移り変わっているのだという深い認識のうえで生活しているだと思う。

その人生の節々で何が起ころうと、あわてず、たとえ自分が今、死ぬ状況に置かれても決してたじろがない人を恐れのない人だといえる。生は不安定な世界の土台の上に築かれている。

そういう意味では、誰かに依存し、執着している人は、毎日が落ち着くことがない。頼りにしている人を失った時、1人では立っていられないからだ。

そうはいっても、依存しない生き方など私たちの多くには到底できそうもない。

依存しないで生きるということは、家庭を持たず、自分の思うがままに、いつどこで自分がどうなっても良い生き方に他ならない。だからといってその人は、安定した毎日のお決まりの家庭生活ができないということではない。それまでの安定していた生活からいざ、自分の気持ちが別の仕事をやりたくなったとか、新たに違う生活をしてみたくなった時に、人や環境に対する執着心がないがためにすんなりと切り替えられるということである。

依存は人間の成長にとっても必要な支えになっている。しかし、もし人がそのうち支えなしに歩く段階にきたのだとしたら、それは取り払われねばならない。

恐れのない人に憧れることはあっても、今の私は依存だらけである。それゆえ、依存するものをいつか失ってしまう悲しみを乗り越えたところに、恐れのない境地が見えてくるのかも知れない。

依存は決して悪いことではない。しかし、依存ゆえに、自分の人生に対する冒険や挑戦する意志をなえさせてしまうのも現実である。私たちは、世界の真理を探求する者としては、この依存心を克服する必要に迫られている。依存や執着をのり越える、それは、家族や地域社会を超えた、人と人とのつながりの可能性に挑戦する心を導き出すことにつながっている。

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