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2012年5月 5日 (土)

恐れのなさ

私たちは、数多くの恐れをみないで済むように、毎日せわしく動き回っている。そのほとんどの行動は、実は恐れを感じないですむための試みなのかもしれない。

一体何に対して、恐れているのだろう?

一番恐れていることは、身近な人の死、そして自分の死ということ。

自分の死という現実はいずれやってくるのだが、健康上の理由で、私たちは絶えず自分が健康であることに注意を向けて、死が遠くにあることを願っている。この有限な人生のせいで、人々は臆病になり、死について考えるのを避けようとしている。

もし、このような潜在的な死についての恐れが私たちの人生の背景にあるのだとしたら、そのせいで、人生の半分以上は台無しにしているような気がする。

逆に死んでいる自分からみた人生という風に考えるのであれば、もっと生というものを楽しめるのではないのだろうか?

それはなにも生まれ変わりというものを持ち出しているわけではなく、死後も続くトータルな覚醒した意識状態を想定して云うのである。個人としての人生はそこで終わったとしても、それまでに生きて感動したことの数々が、新しく生まれるであろう人間の意識に引き継がれるという手がかりが欲しいのである。

恐れのなさは自分の人生の勇者になるのに必要な資質であるようだ。

勇者はハートに悲しみであふれ、そのことが彼をどこまでも優しくて素直にさせる。

勇者の優しさは情熱を秘めたものになってゆく

身まわりで起こっていることにハートを開かずにはいられない。

ハートを開くということが、悲しみのハートを成長させ、まわりで起きていることに対する深い悲しみと、優しさが表れてくるという。

ほんとうの恐れのなさは、恐れが少ないことではなくて、恐れを超えることだ。‥‥

恐れを超えることは、私たちが自分の恐れー不安、心配、悩み、落ち着きのなさを吟味することから始まる。自分の恐れの中身を見たときに、その見かけの下をのぞき込んだときに、私たちの目に入るのは悲しみだ。不安の下には悲しみが潜んでいる。

不安の下には悲しみが潜んでいる。

恐れを乗り越えるには、不安に潜む悲しみを感じるまでハートを敏感にさせるということなのだろう。

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