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2012年5月26日 (土)

悲しみの純粋なハート(2)

世界とじかに向き合えるためには、自分自身が正直に自分にも相手にも接することができ、双方への基本的な善良さへの絶対の信頼がそこにはある。人に隠れて秘密を持ったとしよう。それは他者に知られると、自分の人格が疑われることを当人は恐れているのだ。実は、そうした恐れは、相手に対していまの自分以上に良くみせようとするところからくる背伸びにすぎない。そうした背伸びが、ありのままの自分の姿を受け入れることを拒み、相手にもなによりも自分に対しても偽りの自分の姿で生きようとすることになる。これがすなわち偽りの自己として、無駄に生き続けることにつながる。成長とは、自分のなかの厭だと思っている部分と向き合い、それを受け入れることから始まる。その意味で今のありのままの自分を受け入れないということは、そういう現在の自分の本音を恐れ、他人の評価を恐れることになる。その恐れとは、自分自身が取るに足らない存在、罪深い存在だと、潜在意識に焼き付けた結果なのではないかと思う。

基本的な善良さとは、個人のなかで自我が成長する以前の、生物学的な本能も含めた自然の法則に乗っ取った健全さを云うのではないだろうか? それは自分も含めた生き物に対する絶対の信頼性とでもいう見地がそこにあるように思う。

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