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2012年4月28日 (土)

秘密と恐れ(2)

秘密を持つということは、人間の意識が自分の中で統合されていないということだと思う。

そして、統合されていない自己の部分が絶えず顔を出したがり、コントロール不能になっているということでもある。「思わず‥してしまった」とか、日頃の自分では考えられないような幼稚な行動にでたりする。そしてそんな自分を否定し、他人に隠そうとする。秘密の部分は明らかにされる必要がある。それが受け入れられ、認識されれば、それは解放される。自分で否定すれば否定するほど、その秘密に縛られるようになる。それは今のありのままの自分と向き合うのが恐いからではないのか? 

相手に知られるのが恐いという自分の秘密、そういうものは極力なくしていかなければならない。なぜなら、そういう秘密を持つことが対人関係における不安や恐れにつながっているから。秘密の多くは自分の弱い部分、恥ずかしい部分である。しかし、そんな自分を受け入れ、認めていくことから、人は変われる。その秘密をつくる根元にある欲求にこころを向けたら、それが解放され、表現されたがっているのが理解される。そして、一旦理解したら、いったんそのはけ口を見出して、膿をだせたらそのままだすがままにしておけばいい。しばらくすると、その欲求に向けられたエネルギーが別の方向へ流れていくのだろう。これが人間の奥底にある自然な善良さというものなのかもしれない。

だとしたら、日頃の私たちは、対人の目ばかりを恐れて、日頃の行動をあまりに制限してないか?  こんなことをしたら嫌われてしまう、こんなことを思う事自体が、人間としてよくないことだ、と。そう自分に言い聞かせている自我の欲求と、自然の本能から生じてくる欲求が交錯して、次第に自分のやってみたいことと、すべきことが抑えられてしまう。抑えられた本能は、さらに形を変えて、陰湿になる。陰湿になってしまうからそれを人目に示す事ははばかられる。そうして次第に自分自身の本来の自然な姿からは遠ざかっていくのである。 

私たちは、もっと自分自身を信頼していい存在なのではないだろうか

?

人目を気にする事で、他人と行動を合わせる事で、平均的な生活になじんでゆくことで、次第に心の底の善良さは見失われてしまう。

私たちは、自分のやりたくて出来なかったことへの親や上司、対人に対する恨みを抱いて大人になってはいけない。そうなったら、今度は自分が子供や部下、幼い仲間や弱い老人に対して虐待をしてしまいかねない。

人間にある自然な善良さの発露は、他人から強要された生き方にあるのではない。生きていく基本となるものは当然両親や保護者から学ばなければならないが、それ以上に生き方までをも押しつけてしまう大人たちのどんなに多い事か

?

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コメント


私たちは、もっと自分自身を信頼していい存在なのでは
ないだろうか

まったくそのとおりでしょう
親や他人から教えられたものではなく、
中の内の自分を、信頼し、許し、愛すること
でしょうね


ありがとうございます

投稿: ponsun | 2012年5月 4日 (金) 08時12分

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