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2012年4月 7日 (土)

生というもの(1)

生とは何か?を問う時には同時に死とは何かが問われる。

生きていくのがつらいとか、苦しいとかで死にたくなったりするのは、それだけ生に執着心があるからに他ならない。ほんとうに生きるのがどうでもよいのなら、人は自殺などを考えたりしないだろう。生と死は生の川の流れのまさに両輪なのだ。

普段、私たちは自分の時間に限りがあることを意識してはいない。けれど、この限りある時間というものを意識していないと、人生はそれほど実りのあるものではないことが、このごろわかるようになってきた。

何か目標を立ててやろうとするとき、それは自分からではなく、誰かに言われてすることがよくあった。その時、自分には無理だとよく思ったものだ。無理なのは目標も立てずにだらだらと過ごす自分自身の態度が原因だった。ひとは切羽詰ったときでないと、その潜在的な能力を発揮できないものだ。

生きるということも、時間を限定してこころしてかからないと、死ぬ際に後悔してしまう。単に私は臆病なだけなのだろうか? 

あなたはこの人生で何を望み、何をしたくて生まれてきたのだろう。そんなこと誰にもわかるはずがない。少なくともこの世に生まれる直前にはわかっていたはず‥。別に課題が与えられているわけではない。ひとは成長するために生まれ変わってくるというが、そういう考えに縛られていては窮屈になる。いかにして自分もひとも、楽しく生きられるか?

そう考えていいはずが、いつの間にか、相手を蹴落としてでも、豊かな暮らしをしたい、贅沢がしたいと思うようになってしまった。自分がこころから楽しめることは、人を喜ばす楽しみではなかったのか? それはお互いのしあわせが、相互依存の関係によって支えられているからに他ならない。このことが本当に理解できたなら、私とあなたは他人ではないという真理を心底噛み締めることができるのだが。

そして物事の真理を見出すために、私は自分と周りの環境、社会との関係についても離れてみる視点をいつも忘れないでいたいのである。それは決して客観的に観るということではなく、起きている物事の全体をトータルに意識するということである。そしてそこに瞑想することの難しさもあるのである。ただ純粋に自我(エゴ)を離れるという‥。

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