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2012年4月21日 (土)

秘密と恐れ(1)

秘密を持ちえるのは個人としての自我を持つ者の特権である。しかし、自我ゆえに持つ秘密とは何なのだろう?

近しい人に言えないことが、あかの他人に言えるということ、そこに持つ秘密の特性が伺われる。

秘密を持つということは、自分をいまある自分以上に見せたいとか、恥ずかしい自分の姿を隠したいという意図がある。そもそも秘密を持つということが自我の働きそのものなのであるから、それはかくあるべき自分と、いまの、ありのままの自分とが分裂しているということになる。それならば、かくあるべき自分とは何なのだろう?

実は、かくあるべき自分の姿も、他人に見せたい自分の姿か、自分自身で考え、こしらえた理想の自分ということになる。

いまのありのままの自分は、動物的な自分の現在の姿であり、かくありたい理想の自分の姿は自我の思考の産物である。秘密が発生するのは、このありのままの自分を否定し、かくあろうとする自分を他の人たちに示したいがために他ならない。

ここで、自分が失敗した過ちに対して、それを隠そうとする場合とは厳密に異なることを言っておきたい。しかし、それについても自我がおびやかされるという状況のもとで、隠したり取り繕ったりして秘密を持つということになる。

かくいう私も秘密がばれたりして大恥をかいたりする。そしてこの恥をかくということ自体が、自分をもっと良くみせたいという自我の願望の現われに他ならない。

自我のすることは、自分をいまある以上に評価したり、逆に「自分はあの人に比べて劣っていて、駄目なんだ」とか、ちょっとした事ができない自分を責めたりして必要以上に自分を低く評価したりする。要するに自我の評価は正確に行われたためしがないということなのかもしれない。

ではなぜそうなってしまうのかというと、それは自我の評価が発生するのはいつも対人関係の中であるのだということにヒントがありそうだ。

対人関係において、人は比較したがる傾向にある。なぜ人と人をある基準を持って比較しなければならないのだろう。作業するのが平均よりも遅いとか早いとかで職場評価されるのは、作業効率向上の上で仕方がないとしても、多くは人と人との間で人物評価を単純に決めてしまう傾向である。

さて、秘密を持つということは、それがいつかはばれてしまう可能性をはらんでいる。化けの皮がはがれたとかいうが、そのはがれた状態と如何に自分自身が向き合うか、向き合えるかということが重要である。もし、人が自分のいまある状態についての正確な認識を持たなかったら、ひとはこの先もずっと人格分裂したままになっているだろう。自己分裂しているのが人間ではあるが、現在の自分のありのままの姿を認識せず、対人関係に応じていくつもの仮面を無意識のうちに架け替えていてはどれが本当の今の自分なのかわからなくなってくる。それがずっと続くと自分で気づかないうちに嘘をついたり、うそをつくのが当たり前になっていき、一体どれがいまの自分の正直な気持ちなのかわからなくなってくる。

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