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2012年3月17日 (土)

覚醒(2)

オショーは、覚醒は純粋な意識だ! という。それを理解するのに通常の意識状態と覚醒時の意識との違いを理解することになる。

意識と覚醒のあいだにはまだ違いがある。意識は心のひとつの質ではあるが、心全体ではない。心は意識的と無意識的、その両方でありうる。が、あなたが心を超越すると、どんな無意識もそれに対応する意識もなくなる。そこには覚醒がある。

覚醒とは心全体が目覚めたということだ。いまやそこに古い心はない。だが、意識しているという質がある。覚醒は全体的なものとなった。いまや心それ自体が覚醒の一部となったのだ。‥‥

覚醒とは心を超越するという意味だ。だから醒めている当のものは心ではない。心を超越し、心の彼方へ出てはじめて、覚醒が可能になる。

覚醒とは心全体が目覚めたということだ。

心が醒めているという言い方はできない。ただ、意味深長に、心が意識しているということは言える。覚醒とは心を超越するという意味だ。だから、醒めている当のものは心ではない。心を超越し、心の彼方へ出てはじめて、覚醒が可能になる。意識は心の質だが、覚醒は超越だ。

意識が心の一部である限り、ひとは二元性を超えられないのだと和尚は言う。その主体と客体との境を超えるとき、ひとは覚醒する。そして、覚醒とは「無心」の状態でもあるのだという。

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コメント


今朝、ふと感じたことがあります

主体とか、客体とかは、本来存在しないものなのでは、と

ご案内の記事を拝見して、それを今
思い出しました


ありがとうございます

投稿: ponsun | 2012年3月18日 (日) 07時53分

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