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2012年3月10日 (土)

覚醒(1)

瞑想の最終目的は覚醒にある。しかし、そこへ至るにはいくつかの段階を踏んでいる。まずは意識の集中、そして、それを観照する自分を認識すること‥‥  オショーがその主著「瞑想:めるくまーる社」で、質問者が覚醒と観照の違いは一体どこにあるのでしょうか?と質問したところから始まる。

照は主体と客体のあいだの関係だ。覚醒にはいかなる主体性も客体性もない。覚醒に於いては、観照している人は誰ひとりいないし、観照されている人も誰ひとりいない。覚醒と葉全体的な行為だ。

覚醒とは無為であり、純粋な意識状態であるのだという。では覚醒に至るためにはまず、観照しなければならない。

だが観照を通して覚醒が可能になる。なぜなら、観照とは意識的な行動のことだからだ。それは行動だが意識的なものだ。あなたは無意識でいながら何かをやるということはできる。だが、そのなかであなたが意識的になれば、それは観照になる。だから、通常の無意識的な活動から覚醒に至るあいだには、観照することによって埋められる隙間がある。

観照することが覚醒に向かうひとつの技法なのだという。

覚醒に至るための第一段階は「無意識に行動していたものが、意識的に行えるようになること。」これが観照で第二段階として、「意識的に活動していたことが、無為に、すなわち無活動にとって変わらなければならない。」これが覚醒ということになる。この第一段階の意識的な活動を観照することが、瞑想においては重要となる。それでは、無為であり、主体と客体との二元性がなく、行為者もいない覚醒の状態とは何なのだろう?

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コメント


覚醒に至るための第一段階は「無意識に行動していた
ものが、意識的に行えるようになること。」これが観照で
第二段階として、「意識的に活動していたことが、無為に、
すなわち無活動にとって変わらなければならない。」
これが覚醒ということになる


自分の言葉や行動や、思い・感情夏を見つめることが
報われる所以、ですね

この習慣で、世界が変わってくるものと思います


ありがとうございます

投稿: ponsun | 2012年3月12日 (月) 09時21分

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