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2011年3月27日 (日)

今、問われているもの

今回の震災で日本は何を問われているのだろうか?

震災直後から、円の需要が見込まれるものとして円高が進み、これは投資家がこの後に及んでも自分たちの利益のみを優先するという必然の結果であった。

世界は、いま心ある人たちと、そうでない人たちとの分化が明確に進んでいるように思われる。そして、自然災害は、善悪の判断基準を持たない。この人は優しい人だから救ってやろう、この人はこころ冷たい人だから罰を与えよう、ということにはならない。

人間の持つ善悪の基準が、自然災害の前では通じないのだとしたら、そこに生きていく意味はあるのだろうか?

死んでゆく人たちの代わりにこの災害で生きていく苦しみ、その悲しみを引き受けなければならない私たちは、何ができるのだろうか?

人は改めて生かされているのだとつくづく感じる。

人は自然の前にはあまりにも無力であるとつくづく感じる。

私たちは、文明にたいして、科学技術に対して、そして自分自身に対して、おごり高ぶっているのではないだろうか?

私たちは、他の誰かが欠けても、何一つ満足に生活を続けることができない人間であることを再認識するのならば、自分たちは、それぞれ、お互いに支え合い、もたれ合って生きていく存在なのだと感じさせられる。

家や、持ち物、家財道具をすべて津波でさらわれていっても、後に残るもの、それこそが本当の宝物であるような気がする。

「ただ、生きていて欲しかった」

その言葉を聞いたとき、とても深い悲しみが襲ってきた。

ひとは、誰かとつながり、そのつながったひとつひとつがかけがえのない宝物であり、財産なのである。それを断ち切ってしまうほどの自然災害を憎んでもどうしようもない。

ひとりひとりのつながりの中に、思い出とともに築いてきたこころの絆は、たとえ、今生で断たれたとしても、また生まれ変わった時に、引き継いでいけるものというかすかな希望を抱いて、震災に見舞われた方々への励ましの言葉としたいです。

身近な誰かに起こったことは、自分のこととして受け止めたい、その深い悲しみは決して無駄ではなく、今なにが一番大切なものなのか、震災に遭わなかった人ひとりひとりにも問われているような気がしています。

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