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2011年3月 1日 (火)

群衆から個性へ(3)

群衆とは、いまだ人間が、永遠の存在へ至るための門である個性化へと向かう以前の「誰でもないひと」を指します。

一方、個性的な人というのは、独自の意識を拡げていき、その広がった意識のなかでも、自分自身を決して見失わない人です。その自分自身こそが、永遠へと広がる神秘の領域に立つ唯一の視点であり大切なものなのです。

私たち群衆は、個性的になるべく生まれてきました。しかし、過去には情報不足のために、今は情報過多のために個性を作り上げる機会を奪われてしまっています。その人が真に個性的であるかどうかは、何をするにも、なにを考えるにも、その人なりの動く事のない視点をいつも持ち合わせているかどうか、ということだと思います。それは日頃きづくことがなくても、その人の意識の底にいつも流れている「何か」です。ひとそれぞれの持つ「核」とか「芯」とでもいうべきものです。誰にでもそれがあるわけですが、それがないと、人は個性的に生きていくことができません。

いわゆる私たち群衆は、その芯が日頃の生活によって曇らされてしまっています。ですから、その曇りを取り払う事で人は自分自身に目覚めていくことができるものと予想されます。それはつまり、ひとはその自分の「芯」を意識していけば、次第にそれは成長していくのだということです。

今ある自分の意識の曇りを取り除いたら、いいのでしょうか

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