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2011年2月 9日 (水)

群衆と個性(7)

もちろん私たちはこれまでもそして、これからも神から与えられた個性を発揮するよりも他人に敷かれた人生を生きた方が楽なのかもしれません。またそのような生き方も決して無意味ではなく、それなりに満足のいくものだと思います。けれど

人生はそれよりももっと、自分に与えられた可能性を開花するために生きようとする人たちのためにこの生のステージを与えられているような気がするのです。

自分自身の気づきをもたらす生き方には、おおいなる魅力があると思います。

私たちは、いまここにいる生きかたよりも、もっとお互いの多様性を認め。お互いに光り輝き、生き生きしあいながら歩んでいく「生」の可能性について考えたことはないでしょうか?

今生きてる人間社会は、多くの生き方の枠組みの単なる一つを実現したものでしかないと思うのです。もっと多くの人が自分自身の内面に触れ、その個性を磨きあげれば、ひとりひとりの力は微々たるものであっても、その人たちが集まってできる世界の可能性について想像することは計り知れません。

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