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2011年2月 3日 (木)

群衆と個性(6)

私たちが生まれることも死ぬこともない自分を見つけないと、真に至福になれないというのも、「今、生きてる自分」がその本当の自分からみた、ドラマの主人公なのかもしれないからです。自分自身が主人公であるドラマを自らが作っていかなければならないのです。せっかくいま、そういう機会を「人間」として与えられている以上、直接関わりもしない他人の生きざまのドラマばかりみている人生をそろそろ卒業したいものです。

私たちは自分のドラマのシナリオを作れるのにどうして、いつまでも他人の作った映画の観客でいつまでも満足していられるのでしょうか?

それができるのは、おそらく自分自身にいつまでも気づこうとしない大衆だけではないでしょうか?

他人の生きざま、他人の作った映画から学ぶことももちろん、多々あります。しかし、現代の情報に流されてばかりいるうちに、「人間」として主体的に生きていく本来の自分の姿勢を忘れてしまうことがなによりも恐いのです。

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