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2011年1月29日 (土)

群衆と個性(5)

自分から感動し、自分自身喜びを味わうことの一方で、つらいことや深い悲しみを体験することも起きてきます。それらは感動することの両輪なのですから、片一方の悲しみだけを取り除くことはできません。喜びという性質を味わうためには必要な体験なのです。

この膨大な繋がりの中、テレビ情報やネット情報は個人が抱え込むには混乱をきたしてしまいます。

私たちは限られた時間の中で、それら情報の取捨選択を迫られています。

今の自分にとって必要な情報は何か、それを決めるのは自分です。他人の動向を気にする必要は一切ありません。それでも、親友が、その情報に詳しいから、自分も知っておかないといけないというのなら、そういう友達は親友でも何でもありません。

私たちは個々の特性、生まれつきの趣向が異なっています。両親の影響で、親と同様な職種に就くひともいますが、人の可能性は両親とかの意見や考え方、また、その地域の社会に左右されてはいけないものだと思っています。

天が自分に、自分が自分に与えた「魂の種」は何なのか、それは自分を深く見つめる根気が必要です。幸い、ネットでは自分が必要とする多くの情報が与えられています。その中から、自分が楽しくなるようなもの、自発的にやりたくなるようなもの、考えてみたいと思うもの、わくわくするものを追いかけてみましょう。ただ、自分に正直に、いられることが、自分の個性を伸ばしていく最善の近道だと思っています。

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