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2010年12月10日 (金)

至福と愛と徳(3)

自分のことを忘れて、損得抜きで何かに打ち込める状態が、より健康な魂の状態を現していると思える。打ち込む対象が動物だったり、それが人間だったりしたら、そこに本当の愛情がある。人はおのずと打ち込んでいる状態にあり、それが異性の相手である場合は純愛といったりする。そのとき、人は至福を感じる。

相手のことを自分を意識しなくなるくらい夢中になっているときに、あなたは真にしあわせであり、それは至福のときである。そして相手にたいして愛情豊かな人間で居られる。しかし、それはそう長く続かない。

ただ、その時の、一瞬でも感じたその至福感を思い起こせば、そのときこそが、魂の健康状態を示していたことがわかるのである。

人を信じにくい世の中であるが、それはお互いに愛情に飢えた人間で一杯になってしまったからに他ならない。その悪循環から逃れるためには、こころから自分のことを忘れて、好きになれる相手をみつけることである。それは自分の魂に偽らず正直でいろということだ。

誰でも、好き嫌いはある。だからこそ、自分のこころに正直でいることが、相手に対する誠実さを示すものさしになる。本当に好きなものをすきだと言えることが、真に至福でいることの近道でもある

ひとつこころから好きになれる人を見つけたなら、それまで嫌いだと思っていた人に対しても、そのひとの良さを発見する余裕がでてくるものだ。

相思相愛にならないのでは? という不安から、自分の本心を偽ってしまうこともある。けれども、問題は誰を好きになるかではなく、こころから相手を好きになれる自分の心の状態が問われているのだ。相手のことを考えて、相手の立場でものをみることができる自分になれることがポイントなのだ。

そのとき、人は愛情を与えることのできる人に生まれ変われる。そうして初めて、そのひとに徳が生まれる。そうして初めてそのひとは、至福の状態の何たるかを知るに至るのだといいたい。

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