« 至福と愛と徳(3) | トップページ | 言葉へのとらわれ(2) »

2010年12月15日 (水)

言葉へのとらわれ(1)

私たちひとり一人の考えていることは違って当たり前、だからそれぞれが発する言葉の意味するところは、その個人の思考パターンや背景となる生活環境をくみしなければ正確には言葉で伝え、理解しあうことはないものと言われます。

それはその通りであるが、こと真理への追求については少し違うような気がするのです。

言葉を手段として使うとき、そこに期待するものが大きく分けて二つあると思う。

第一に言葉を、その言葉の意図することを正確に伝える手段であるとともに、自分や相手がそれぞれ思い、考えることを理解し合うことを目的とするもの。

もうひとつは、言葉が、その指し示す方向を表すものである場合があること。

言葉の手段としてもつ、この二つの意味合いは異なっているが、私たちはこの二つを決して区別したりしない。特に日常的なコミニュケーションツールとしてではなく、お互いの共通認識されていないもの、独自の体験領域であるものに対して使う言葉については、多くの誤解が生じてしまうのだろう。

懐疑的な人、理屈好きな人にとってみれば、言葉の手段としての意味合いはとても大きい。

けれども、言葉では表すことのできないものを、そのイメージや概念を表わそうとすることの限界もある。そこに、言葉は単に真に指し示そうとしているものの方向を指さすものであるという理解も必要になってくる。

|

« 至福と愛と徳(3) | トップページ | 言葉へのとらわれ(2) »

随想録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/483880/38031969

この記事へのトラックバック一覧です: 言葉へのとらわれ(1):

« 至福と愛と徳(3) | トップページ | 言葉へのとらわれ(2) »