« 精神の物質主義(3) | トップページ | 至福と愛と徳(1) »

2010年11月20日 (土)

精神の物質主義(4)

さて、目覚めた心の状態が、築き上げられるものではなく、むしろそれを妨げている混乱を焼き尽くすことで得られるのなら、私たちは常日頃言っている、精神的な成長とは一体なんなのであろう。それは太陽が曇って見えないので、その雲をひとつひとつ取ってゆく作業によって可能であるるだとすれば、私たちは、成長ということではなく、心の混乱状態から抜け出すこと、その曇りを吹き払うことで本当の自分自身を発見できるのではないだろうか‥。

常にあるもの、時間に流されることの無いものこそ、自分の本質であるのだと、和尚も述べていた。

精神的な成長とは、時間の経過による「成長」ではない。それは横軸に時間軸をとると、時間のある地点からの垂直方向による飛翔なのではないか。人は、あるきっかけによって本質的な自己を見出す。それは成長によっては決して見いだせない。それは時間軸上にはないものだから、それは自明のことだろう。そのきっかけさえあれば、人は本質的な自己を見出せる。

悟りとは、時間からの飛翔である。とはいえないだろうか?

|

« 精神の物質主義(3) | トップページ | 至福と愛と徳(1) »

瞑想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/483880/37353653

この記事へのトラックバック一覧です: 精神の物質主義(4):

« 精神の物質主義(3) | トップページ | 至福と愛と徳(1) »