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2010年11月13日 (土)

精神の物質主義(3)

精神的な道とは心の混乱を切り払い、目覚めた心の状態をさらけ出すことだ。目覚めた心の状態が、エゴと、エゴにまといつくパラノイア(妄想)で混雑すると、本能的な資質が強調された状態になる。したがって目覚めた心の状態とは築き上げられるものではなく、むしろそれを妨げている混乱を焼き尽くすことに関わってくる。私たちは心の混乱を焼き尽くしてゆく過程で、悟りを見いだす。‥‥中略‥‥

もし悟りというものが創られたものであるなら、エゴがふたたびその存在をあらわにし、心を混乱した状態に引き戻す可能性がつねにある。悟りは永久的なものだ。なぜなら、それは作られたものではなくて、発見されたものだからだ。」

以上チョギャムトゥルンパ著:「タントラへの道」から抜粋

私たちの心の混乱の原因は「わたし」という固定化し継続した自分がいるのだと思うところにある。と著者は云う。

「わたし」が継続するところのエゴとは?

それは過去の記憶だったり、未来への希望だったり、

あるいはこの考え、思考する「わたし」だったりする。

エゴとは時間の産物であり、常に今ここに存在する、「永遠の今」ではない。

「永遠の今」の住人こそが本当の自分であるのかもしれない。

それは私たちが個別にある「自分」という概念からはかけ離れているかもしれない。

私たちは過去の経験や知識を決して無くしたくないと思う、そう思うことが自分を保つことであり、一貫した自分でいられることで安心するのである。しかし、それは単に時間の中で束の間に存在するだけの現象なのかもしれないのである。

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