« エゴの落とし穴(2) | トップページ | 孤高の山 »

2010年10月 9日 (土)

エゴの落とし穴(3)

真理は学ぶものであり、教えられるものではない。‥ 学ぶとは、自分の回りのものすべてに対して敏感であることだ。そのものに対して敏感であることだ。‥

自分の思考がすべてなくならない限り、真理を得る道はない。真理を与えてくれる者は誰もいない。自分が真理になる以外に真理を得ることはできない。‥真理を得ることは、真理となることだ。自分が真理となるのだ。」私たち人間は真理を得ていない者として、皆平等です。平等ということは、私たちはお互いにお互いの行為から学びあえる人間であるということです。それは知識や技術のように師から弟子へ、先生から生徒へと教えられるものではないのだということです。何かテレビや書物から得た知識で自分自身がわかったつもりになる、そして得た知識を誰彼に教えたくなる、その危険性について和尚は説いています

スピリチュアルな道での障害について和尚はまた、次のようにも述べています。

「うぬぼれをもたらすものは何であれ、障害になる。無自我の感覚をもたらすものは何であれ、道になる。」

和尚はここで、罪人が自分の自我をゆさぶるという意味で、それは道に近く、道徳家や学者、専門家などの知識人が、微妙な優越感というエコ゛を強化させているという点で、道から遠ざかっているという。

以上太字:和尚

|

« エゴの落とし穴(2) | トップページ | 孤高の山 »

瞑想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/483880/36937494

この記事へのトラックバック一覧です: エゴの落とし穴(3):

« エゴの落とし穴(2) | トップページ | 孤高の山 »