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2010年10月30日 (土)

精神の物質主義(1)

精神の物質主義とは、チベット仏教のチョギャム・トゥルンパが、その著「タントラへの道」(めるくまーる社刊)で説いた有名なことわざである。

精神的な道を歩むことは、山の尾根をつたうように慎重なバランスを必要とする。それは半歩でも踏み外せば、ゆがんだエゴの巣に迷い込んでしまうようなものである。

自分は精神的に成長していると思い込んでいても、実は伝統的な宗教の教えや精神性をエゴの満足、あるいは知識を寄せ集めて、自分の精神性の高さを誇示しようとする。これが精神の物質主義である。エゴは、自分の精神性の権威を得るために知識というがらくたで身をまとい、人々に教えを提示しようとする。

本当に精神の修養に必要なのは、今のありのままの自分を示すことであり、そこからしか始めることはできないはずである。しかし、エゴは自身の利益やプライドの保持のために、人々の上に立ち続けたいのだ。あなたがたは私よりは知らないはずだから、教えてあげようと。このように、私たちは、スピリチュアルな生き方をしようとすれば、自分のエゴの存在証明のために他人を巻き込みたがるのである。

さて、かくいう私も、こうしてブログを立ち上げているということは、そこに微妙なエゴが介在していることは否めない。この微妙な私自身のエゴと戦い続けながら、それでもやはり、和尚ラジニーシのことを紹介したくなってしまうのです。

あらゆる知識を寄せ集めても、浅くひろく読みあさってみても、教えの意味するところは決してつかむことができません。教えが生きた教えとして自分で体験されなければ、それはただのがらくたに過ぎません。それは自分の体験によって噛み砕き、消化されるべきものである。

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