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2010年9月10日 (金)

真善美(12)

真善美(12)

善悪を超えて(4)

自らの本性を知ることは学ぶことによっては起こらない

苦しみからは、自分の願望が虚しいことを学ぶだけだ。もし、この世界から唯一学び得るものがあるのだとしたなら、それはたとえどんなに成功を収めても、どんなに失敗に終わったとしても、それらはいずれ、無の中に消え去っていくという事実を理解することだけなのだろう。

私たちは、自分の今の状態の意識を保ちつつ、この自分がずっと続いてくれることを願っている。そして、世の中はどんなにつらい目にあっても、いつかそのうち幸せが訪れることを願って止まない。しあわせな状態がもたらされたなら、その状態がずっと続きますようにっ‥ て、願ってやまない。どちらにしても、それらは時の流れに流されて、いつまでも続かないひと時の夢に終わってしまうということなのだ。それでも、‥ と人はこの世界に何かを期待し、願ってやまない。それはなぜだろう?

過去があるとしたなら、その地点で叶わなかった願い事の数々をその時に戻ってやり直して、叶えたいのだろうか。自分を傷つけた相手に対して、復讐を遂げるまでは何度でも生まれ変わらずにいられないのだろうか。私たちは、あまりにも過去生? に残してきた心の痛みや後悔がたくさん積もりすぎて、この世界の住人でいることを止められなくなった旅人に過ぎないような気がするのは私だけだろうか?

この不毛な苦痛を終わらせたい、そうこころより思わない限り、ひとは真理について、みずからの本性について強い情熱を抱くことはないのかもしれない。

私は、<気づく>状態、純粋な意識の状態とは何であるのか、知りたいのである。それは、真理を追究したいと望む私自身の動機から来るものである。

永遠の生、そこに生の神秘があり、真理が存在する。それはこれまでも、そしこれからもずっと変わらず溢れ続けるまさに「永遠の泉」なのだろう。それを強く知りたく願うばかりである。そしてその気づきの状態からみたこの世界はまた、きっと全然違ったものに映ると思うし、そこで生きる自分も、生き方そのものが、生きる姿勢が全く異なったものになろうことは想像に難くない。

和尚云う

「どれほど多くの知識も、あなたに自らの不滅性、永遠性、全体と自分がひとつであることの体験を与えない‥ 真理はじかに知ることしかできない。」

以上太字:「ボーディダルマ」OSHO,めるくまーる社,引用

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