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2010年7月10日 (土)

権力と依存

自分達の平和を守るために敵と戦うという発想はこの世界の産物である。

私たちは、幾世において、絶えず戦争を繰り返してきた。何のために? 自分達を脅かそうとする者がいるからに他ならない。その脅かそうとする者は、自分達の心の中に居た。それがたまたま仮想敵国を作り出し、そうして自分達が支配される前に相手を支配しようとした。一体どちらが先に仕掛けたのかわかったものではない。

根本的に私たちは好戦的な人類である。というのも、権力や地位、名誉といったおよそエゴを強化するゲームが好きだからである。

女性は、というと、敗戦国の女性たちはそれこそ、不当な苦しみにじっと耐え忍んできた。女性は人形と同様に扱われる屈辱に耐えねばならなかった。なぜだろう? 女性の本質は受動的だからだ。もし、世の中の政治家の半数が女性になったら、きっと戦争はなくなっているのかもしれない。争いは話し合いで解決できるはずだからだ。

私たちは、自分達の中にある、相手を支配したいという欲求をなんとかしないと、決して戦争はなくならない。政治家はその最たるものだ。どうして、相手を意のままにあやつりたいのか? 誰も奴隷になど成りたくない。一方で、自分の人生の責任を回避したい人たちがいる。

「私は自分のすることに責任をもたないけど、あなたにすべておまかせします。」奴隷になんか成りたくないと言っている人が、政治家に「もっと私たちのために住み良い暮らしにしてください」とどうして言えるのですか? それは私はあなたがたの奴隷に成りたいです、と言っていることと似たようなものだ。

世の中は、支配したい人と支配されたい人で成り立っている。だからこそ、それはそれで仕方が無い。国家同士の争いとは、自分達の縄張り争いでしかない。その大元は家庭にある。男と女のどちらかが、依存してしまう。自分らしく生きる術を捨てて、生きる権利を相手に委ねてしまう。事のはじまりは、自分で立って歩くように教育されていないことにあるのではないか。家庭が国家に依存し国家が家庭を束縛する。そうして権力者と被支配者の関係が成り立った。そしてそこには境界が生まれ、利益争奪の微妙な力学が発生してしまった。

そもそもの始まりから、あなたは周りによって不自由な教育を施されて生きてきた。

生まれて最初に掛けるボタンを間違ってはめ込まされてしまった人たちは多い。ただ、そのことに気づけるのは自分でしかない。

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