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2010年6月28日 (月)

真善美(5)

美とは何だろう?

はたから美しく見えることの基準はどこにあるのだろうか。数学的に美しく見える顔の形があるといい、その形に数学的な整合性がみられるというのである。好みの問題もあるが、それ以上に美しいとみなされる女性の数が美男子とみなされる男性の数よりも圧倒的に多いのはなぜだろう? そこには美しいとされるものの法則が働いているはずである。私たちが美しいと思っているものの多くは数学的に整然とした自然の整合性に魅せられている結果なのかもしれない。

周りにある自然を観察してみると、小鳥のかすかなさえずり、小さな昆虫の色合いにさえ感動を覚えてしまうことがある。こんな色合いを人工的に作るのはさぞ難しいだろう‥と。

私たちは自然の創り出す美しさに惹かれ、それになんとか近づくようにと、模倣し、創作する。人間の手による美の再創造に芸術の一端を覗いてしまう。

人間は、自然から「美」の何たるかを学び、それをよく観察することによって自分たちの芸術性を高めてきた。自然は「美」の宝庫である。天然石ひとつ取っても、それはただの石ころに過ぎない。それを私たちが磨き上げることによって、そこに隠れていた「美」を引き出すのであった。私たちは自然というものに触れれば触れるほど、「美しさ」に対する感性が磨き上げられているのがわかる。私たちは私たち自身も含めて、自然への憧憬から限りなく多くを学びえる存在でもあるのだ。

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