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2010年6月18日 (金)

真善美(3)

私たちはいつの世にも、何度も生まれ変わってきた。その生まれ変わりのなかで、本当に成長したといえるのだろうか?私たちは、物事を頭のなかでのみ理解しているのに過ぎない。本当に理解するということは、自分が変わるということである。言い訳は自分自身のエゴの得意技である。

さて、美しいもの、あなたは何が美しくて何が醜いか、その価値基準は人それぞれだと思うのだろうか?ひとそれぞれだと思うところには、美しいものを美しいと思うその人の能力の限界が、ひとそれぞれによって違うだけのことのような気がする。同様に醜いと思うもの、それもひとそれぞれに醜いと思う能力の限界がまちまちだということになる。

私たちは、真実なるものを求めるとき、それは美的なもの、善なる行為を求める生き方につながっているし、それらは同じ生の神秘の別々な側面のように感じるのである。

真実なるものは絶対的なものであり、それは状況によって変わったりしない。そういう真実性からみたわれわれの住む世界は相対的な世界なのである。だからこそ、私たちはこの世界で私たちの生き方の指針を決めないと、何度生まれ変わっても、人生をただ無駄に徒労に過ごすだけになってしまうのではないだろうか?

私たちは何よりも苦痛を避け、至福を望んでいる。私たちの魂のひとつひとつは例外なく至福を求めている。私たちの魂は、全体とひとつになることを望んでいる。そもそもひとつである筈の魂が、それを忘れてしまったのは自分から光をさえぎってしまったからではないのだろうか?

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