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2010年6月11日 (金)

真善美(1)

今の私たちは、道徳の規準がない。何をするにも、その行為の良し悪しをすべて、状況判断に任せて、相対化する傾向がある。もっとも、現代は、ずる賢く生きてきた者が勝ちを収める社会になっているからだ。いや、社会はずっと前から、正直者がバカをみるという世界だったのかもしれない。そうした、私たちの住む世界とは、動物が生き残るために弱肉強食の生存競争により生き残ったもののみがしあわせになれる世界なのであろうか?

お互いに気持ちよく共同生活を送るために作られた道徳性や社会規範というものは,時代とともに変化する、とでもいうのだろう。社会規範はそうでも道徳性というものは個人の内面の良心に関わる資質であるから、それは普遍的なもののように感じる。つまり、現代人は、社会の事情とともに変化する社会規範と個人の宗教性から生まれた道徳というものを混同しているような気がしてならない。

個人の内面の良心的な資質は普遍的であり、それは一面の真理であり、美学であり、善き行いをもたらすものである

。それはこの社会を動かす背景には、業(カルマ)の法則が働いており、それは個人一人ひとりの中で絶えず作用しているものだからである。そういったことも知らずに、人々は何が善い行いで何が悪しき行いであるのかを相対化してしまう。そうした過ちは、世界の真実についての道筋ガイドをもたない、或いはそれに対して全く無知だからに他ならない。

世の中を動かしているのは仏教でいうところの業(カルマの法則)であり、世の中と見えない世界もひっくるめた真実に少しでも目覚めれば、そのような行為の価値基準ははっきりと認識できるはずなのである。

私たちはわからないことや、物事を曖昧にすることによってそれ以上追及しようとしない。しかし、物事の真実や行為の是非における結果責任は私たちが思うよりはるかにクリアーなものなのである。

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