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2010年5月 8日 (土)

家族について(14)

いかにして、どのようにして生きていくのかは、社会にでて、企業が、地域社会が教えてくれます。それは、生活のための手段を教える場でもあります。それに対して、どう在るのか? 自分はどのように在りたいのか? ということは教えることができません。それは「自分から学ぶ」ものだからです。

今の学校教育では、この「どう在るか」ということがなおざりにされています。それは社会にでて役に立つとか、立たないとかではないからです。

どんなに他人からみて羨むほどの成功を収めてきた人でも、自分自身が満足しない生き方であったならば、それは人生の失敗に他なりません。教育は、この自分自身の在り方を教えられないのです。

それは、もっと多くの大人たちの生き様から学ぶものであります。その見聞の中から自分に合った生き方、在り方を模索するのが人間的というものです。そうした点では、いまの核家族的な生活様式では、決して子供が自分の在り方について勉強できるほどの環境にないのではないかと思います。ここからも家族というものの在り方が問われているのです。

社会というものはつまりは、家庭の反映であり、家庭というものは国の構成単位です。その最小単位である家庭の機能が働いていないことが、社会にさまざまなひずみをもたらしているのではないでしょうか?

個人の自己責任といいながら、その個人を守るべきはずの血縁者でさえ手を差し伸べられない現状は、国の存亡の危機につながってもいるような気がします。

個人がバラバラになりつつある社会で、この社会構造をもう一度作り直さなくてはなりません。それは誰かに頑張ってもらえれば良いという問題ではなく、一人一人の心の内面が変わっていかなければ始まらないのだと思います。自分の内面が変わらなければなりません。一人一人の自覚が変わることが、自分たちの住んでいる世界を変えるのです。もっと住み易い世界に共に、努力していきましょう。そのためにはちょっとした気づきが必要なのではないでしょうか?

自分のしてきたことが、これからの自分に反映されます。

後悔する前に、自分自身がしあわせでいたいのなら、まず何をするべきか、何が自分にできるか、そして誰のために行うのか?

もう一度考えてみましょう。

家族の在り方が、今、真剣に問われています。それは私たち一人一人の生活問題なのです。

翼猫

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