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2010年5月

2010年5月27日 (木)

和尚(4)

市民出版社から出された「タントラ秘法の書」全十巻を始め、それらの解説を読まれるとわかると思いますが、和尚の説いているのは瞑想の真髄です。個人が瞑想によってトランスパーソナル心理学の云う「変性意識」に目覚めること、人間意識を改革することを主眼とされています。

私はユングの深層心理学に一時期、傾倒していましたが、心理学者CGユングが影響を受けた黄金の華の秘密」(太乙金華宗旨)があります。これは道教の教えに基づいて万人のためにつくられたとありますが、ユングが男性性、女性性といったものをアニムスとかアニマとか表現していますが、その発想の元はこの論書にあることを知り驚いていました。

この論書は私たちに「肉体以上のものの存在を知り、死を超えていく方法を示すもの」ということですが、これは優れた瞑想技法の解説書であり。卑金属から貴金属へと変えうる錬金術の書ともいえるのではないでしょうか。この点でも神秘家でもある和尚を優れた心理学者といっても良いと思います。

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2010年5月22日 (土)

和尚(3)

老子、釈迦、達磨、グルジェフ、ラマナ・マハリシ、Jクリシュナムルティなどと並ぶ和尚ですが、日本における知名度はそれほど高くはないのはなぜでしょうか?

それはともかく、私が和尚を紹介しなければと思ったのは、西洋の臨床心理学、トランスパーソナル心理学と東洋の神秘的世界とのつながりに感銘したからに他なりません。

和尚の講和録は、そのどれもが宗教的世界というよりは、個人の内面の深層心理学につながるものとして捉える事ができます。その目指す方向は、個人の意識の覚醒に他なりません。その意識覚醒のための方法論を和尚は説きますが、それは心理学的であり、科学的合理的な精神を取り入れている瞑想方法とその具体的な解説にあります。そうした点では、他の覚醒者たちとは違って秘教的に終わらせない魅力が和尚にはあると思います。そこには西洋の癒しの心理学療法と相通じるものがあります。

彼自身は宗教家と呼ばれるのは好まないでしょうが、和尚のサニヤシンが団体で活動する「和尚サクシンセンター」は、世の戦争の原因ともなっている宗教団体や、政治への参入の契機となってしまっている腐敗した宗教の衣をまとった利益集団とは何の関係もありません。

宗教はまた、個人個人の内面を照らし出し、一人ひとりのこころの変革をもたらさなければならない、という点では決して組織化するものではありません。もし、既存の宗教団体が真に純粋に個人の覚醒と癒しを望むのであれば、その宗教団体は解散せざるを得ないでしょう。なぜなら、個人の内面の意識変革をもたらす宗教は師から弟子へ伝えられる個人間でしかなされないものだからです。和尚自身が述べていることですが、「私のメッセージは教理ではないし、哲学でもない。私のメッセージはある種の錬金術、変容のための科学だ‥」といっています。

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2010年5月19日 (水)

和尚(2)

1974年、ボンベイのプーナにラジニーシのアシュラムが建設されました。毎日の定期的な瞑想や個人面接、講和などを主にやっていました。

1962年にカリフォルニアに、ニューエイジ系の人たちが集まってサイコセラピーの実験場であるエサレン研究所がつくられました。この研究所の人たちとラジニーシの修道場とは盛んに交流が行われ、西洋のホリスティック心理学の流れが加速しました。ボディワークや心理療法、グループセラピーなどを取り入れたこの道場は、心の癒しを求める現代人にとって瞑想をより身近なものにしていたと思います。

この時期、トランスパーソナル心理学の発展もラジニーシの存在が大きく影響していたと思われます。

ここでトランスパーソナル心理学とは、マズローをなど人間性心理学とCGユングのユング心理学が融合したものといわれています。それは個人を超えるという意味で超個心理学ともいわれます。トランスパーソナル心理学会はこのマズローと同じく人間性心理学会をしていたトニー・スティッチ、ホロトロピックセラピーを開発したスタニスラフ・グロフが加わって最初にアメリカで確立したとされています。

ところで、人間にはマズローのいう自己実現の欲求があるけれども、それが最高ではない、個人というものを超えて自己を超越したいという欲求があるとも説いています。もっとも、禅ではそのような欲求があったら決して個人を超越することはないといわれそうですが。

この自己超越ということがインド思想のアートマン、ブラフマンと結びつき、「宇宙意識」という概念で語られるようになりました。しかし、最終的には「空」概念、すなわち禅でいわれるところの「無」というのが究極の真理であるといわれますが、残念なことに「無」の境地から世界や人生について語ることは永久にできそうにありません。

1981年、和尚はアメリカに渡り、和尚のサニヤシンがオレゴン州にコミューンを築き、そこに和尚を招きました。

和尚のエサレンでの活動は、彼の個人秘書とコミューン管理者とのトラブルに巻き込まれ、それは和尚を快く思わない米政府の格好の迫害の標的とされた。

さらに、政治的な絡みから彼をうとましく思うキリスト教原理主義者たちから攻撃を受けることになる。

1987年ワールドツアーから戻った和尚はインド政府からも干渉を受けました。しかし、プーナを訪れるサニヤシンの数は日毎に増えていき、サニヤシンたちによって彼は「バグワン」から「和尚」と呼ばれるようになった。

1990年和尚は肉体を離れましたが、それまでに話した数々、その講和録は今も世界で読み継がれています。残念なことに、和尚を日本で取り上げる人はあまり見受けられません。もっと多くの人が和尚を知り、その言葉の数々に感動してもらいたいと思っています。

参考文献:和尚の超宗教的世界(社会評論社)

     トランスパーソナルセラピー入門(平河出版社)

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2010年5月15日 (土)

和尚(1)

和尚といえば日本の禅寺にいる和尚と間違われやすいのであるが、ここまで取り上げてきた「和尚」について整理がつかないまま、述べることとします。でなければいつまで経っても和尚の紹介はできないので、稚拙な文章であることは勘弁願いたい。

和尚は1931年インドに生まれた、宗教家、というより真の実存主義者といったほうがよいのかも知れない。

幼少の頃から、反逆精神に目覚め、真理を得ることに尽力し、21歳で光明を得ています。

ジャパプールの大学で哲学教師を何年か教えた後、インドでの伝統的な宗教を批判し、彼みずからはダイナミック瞑想という方法を世に広めました。私が初めて買った本に「セックスと超意識」があり、そこにはセックスエネルギーを人間の意識覚醒のために使えるという大胆な方法論が書かれてあります。この頃の和尚は「バグワン(祝福されし者)シュリ.ラジニーシ」と呼ばれています。

少数の人々に霊的、秘教的な講和を数多く残し、その内容はブッダ、イエス、老子、荘子、一休、白隠、ソクラテス、チベット仏教、スーフィズムなど世界の神秘家を彼なりの彩りを添えてわかりやすく解説されています。その数およそ600冊以上ですが、日本語訳にされたものだけでも100冊はくだらないと聞いていました。

ボンベイのプーナに修道道を開いた頃には西洋で開発された心理療法やグループセラピーが導入されました。

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2010年5月 8日 (土)

家族について(14)

いかにして、どのようにして生きていくのかは、社会にでて、企業が、地域社会が教えてくれます。それは、生活のための手段を教える場でもあります。それに対して、どう在るのか? 自分はどのように在りたいのか? ということは教えることができません。それは「自分から学ぶ」ものだからです。

今の学校教育では、この「どう在るか」ということがなおざりにされています。それは社会にでて役に立つとか、立たないとかではないからです。

どんなに他人からみて羨むほどの成功を収めてきた人でも、自分自身が満足しない生き方であったならば、それは人生の失敗に他なりません。教育は、この自分自身の在り方を教えられないのです。

それは、もっと多くの大人たちの生き様から学ぶものであります。その見聞の中から自分に合った生き方、在り方を模索するのが人間的というものです。そうした点では、いまの核家族的な生活様式では、決して子供が自分の在り方について勉強できるほどの環境にないのではないかと思います。ここからも家族というものの在り方が問われているのです。

社会というものはつまりは、家庭の反映であり、家庭というものは国の構成単位です。その最小単位である家庭の機能が働いていないことが、社会にさまざまなひずみをもたらしているのではないでしょうか?

個人の自己責任といいながら、その個人を守るべきはずの血縁者でさえ手を差し伸べられない現状は、国の存亡の危機につながってもいるような気がします。

個人がバラバラになりつつある社会で、この社会構造をもう一度作り直さなくてはなりません。それは誰かに頑張ってもらえれば良いという問題ではなく、一人一人の心の内面が変わっていかなければ始まらないのだと思います。自分の内面が変わらなければなりません。一人一人の自覚が変わることが、自分たちの住んでいる世界を変えるのです。もっと住み易い世界に共に、努力していきましょう。そのためにはちょっとした気づきが必要なのではないでしょうか?

自分のしてきたことが、これからの自分に反映されます。

後悔する前に、自分自身がしあわせでいたいのなら、まず何をするべきか、何が自分にできるか、そして誰のために行うのか?

もう一度考えてみましょう。

家族の在り方が、今、真剣に問われています。それは私たち一人一人の生活問題なのです。

翼猫

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2010年5月 4日 (火)

家族について(13)

家族再考

結婚? 同棲で十分ではないですか? 安全という保障が欲しいのですか、それとも、永遠の愛が欲しいのですか?

子供? 血の繋がった冷たい子供より、親身になってくれる他人が良く思われたりしませんか? あなたは子供を育てる前に、親としての資質が備わってきていますか?

老後?一体誰をあてにして、支えてもらおうというのですか? そう言う前にあなたは子供や周りの人に十分親身になって尽くしたことが一回でもありますか?

偽りの家庭で、愛情で守られない家庭で育てられた子供に決して良い影響は与えません。それどころか、人々は利害関係の核である家庭が崩壊し、個人が欲望の核になって一人歩きしてしまった。家族同士の不信感がはびこり、現代人は個々がより孤独を感じ、ひとり寂しくすきま風をこころの中に吹かせながら生きている。それだから余計に生活の安心、健康に対する不安、死ぬことへの恐怖を膨れ上がらせてしまっています。

思えば私たちは、「生命はひとつである」というこの真理から、随分と遠ざかってしまった。もう一度、人間関係のあり方、生活の仕方に対して、真剣に取り組まなければならないというのが今の状況なのだと思いました。そうした意味で、家族というものについて考えを改めることが今、迫られていると思うのは私だけでしょうか?

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