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2010年4月17日 (土)

家族について(9)

結婚してからいろいろなことで夫に幻滅し、愛情を注ぐ対象を息子に求めてでき愛し、子供の一人立ちに失敗した家庭、愛情を他に求めて家族崩壊してしまう家庭、それらは、現在の結婚があまりに固定的に縛られているからです。しかし、では結婚制度がなくなれば、私たちは上手く生きていけるのでしょうか? 

私たちは心理的に絶えず誰かに依存し、支えてもらわねばなりません。愛情を与える前に誰かから注がれたい、自分のことを十分に認めてもらいたいと思っています。これが権力志向となってお金や地位へのこだわりを生みます。私たちは皆、飢える狼、いや子羊なのかもしれません。子羊の私たちがいま必要としている家族は、かつてのように居心地の良いものではありません。かつてはなぜ居心地が良かったのでしょうか? 物が豊かになって自分たちが少しずつ、幸せになっていくのがわかるからだったと思います。何か新しい物が家の中に入ってくると、それが家族共通の豊かさの指標となって、もっと豊かになろうと共通の目標を定めて足並み揃えて頑張れるわけです。

ところが今は、個人がばらばらに自分たちの欲求を満たすべく進んでいます。

なぜそうなってきたのでしょうか? 物が豊かさの指標ではなくなってきたからです。不特定多数の人と気軽に付き合えても、ネットでお話できても、表面上のつきあいで納まってしまいます。心と心のぶつかり合いもなく、ただお互いに自分の利益になるかならないかが行動の指標になっています。また、情報があまりにも多いために個人の価値観が多様化し、それが家族間で共通の行動や時間をとることを阻んできています。

現代は家族から、個人へと分解した世相を呈しています。それは情報社会が進んできた結果ともとれます。家庭というものの基盤がいま危機にさらされています。

ひとり一人がいま、自分の孤独といやがおうでも向き合わざるを得なくなってきます。付き合う人たちの多さに伴って、家族の絆が薄れていく、そうでなくても家族間のコミュニケーションはちゃんと取れているのでしょうか? そうするのに意識的な努力が必要なのではないでしょうか。

現代社会は、個人意識の目覚めには良い環境があると思います。一方で、それは自分が孤独で寂しい存在なのだと気づかされるのです。気づけば、親身になって話し合える人がいないということも考えられるのです。そして、自分がひとりぼっちであると思い知ったとき、家族というものがもう一度見直されなければならなくなってくるのだと思います。私たちの家族とは、家族観は今後、一体どうなっていくのでしょうか?

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