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2010年3月20日 (土)

家族について(6)

結婚

 結婚の目的は互いに自分たちを閉じ込め、自分たちを束縛することではない。その目的はあなた方が互いに成長するのを助け合うことだ。しかし、成長には自由が必要だ。

‥ 自由は愛の表現だ‥

「ニューウーマン誕生バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくまーる」

今では離婚も増えてきましたが、昔は一度結婚すると、相手への愛情が失せても一生添い遂げなければならなかったとも聞きます。そもそも結婚とは和尚に寄れば時代遅れの制度であり、どんな制度も破壊的だとこの本で述べられています。

自由が愛の表現であるならば、その時の二人が愛し合っているのなら一緒に暮らせばいいし、どちらか一方が醒めてしまったなら、相手のために離れるのが自然なのかもしれない。大事なのはそのときであり、その瞬間の自分の気持ちではないでしょうか?

誰一人日々、変わらない人はいません。体の構成要素が新陳代謝するように、こころも日々、移ろってゆくのです。

愛情が冷めても子供がいるから、子供のためにといって別れられない夫婦は単に体裁を重んじているだけなのかもしれません。お互いに愛情が感じられない夫婦生活は何よりも子供のこころを害するものだということをわかっていません。親が子供を愛するのは自然だと思われるでしょう。しかし、単に血のつながった自分の子供だから愛しているというのは、本当の愛情ではないと思います。それは自分の延長線上にある自分を愛しているだけであって、別人格としての一人の人間を愛しているわけではありません。本当に慈悲という意味での愛情があるならば、相手が血のつながりがあろうとなかろうと関係ないものであると思います。

夫婦間で愛情が冷え切っていれば、子供は親からの愛情を注がれにくいものだと思います。それは親自身が愛情に飢えており、子供に与えるだけのこころの豊かさがない場合が多いからです。そういう両親に育てられた子供の多くは、愛情に飢えた大人になって、またしても誰かに愛情を注ぐというこころの豊かさも育ってはいないことが多いのではないでしょうか?愛情のお手本ではないけれど、家族の誰かが、自分のことをいつも心配してくれているという幼少時代があった人で愛情に飢えた人は少ないと聞きます。

真の愛情とは相手のために、相手の中に自分を生かしていくことであると思います。それは自分を見失うことではありません。相手が生活の中心となるのです。相手の生活と共存し、お互いが生かされるように支えあっていくことなのではないでしょうか?結婚生活とはその試みの場であり、さらにはその生活を通して、自分自身の内なる異性を自覚していくということなのだと思います。

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