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2010年2月18日 (木)

家族について(1)

提言

生涯独身者が増えつつあるこの頃です。全体の4人に1人が独身者となるのはそう遠いことではないらしい。それは単身世帯が増えるということでもあります。

今は両親と同居して暮らす人々も減ってきている。独居老人の数も増えているという。

一人暮らしが問題となるのは、年老いて孤独死につながる率が高くなることだろう。最近は無縁社会などと、孤独の内に死期を迎える人たちが増えてきています。

そういう不安を回避したくて近頃は、友人同士で老後を一つ屋根の下で暮らすという形態もでてきているらしい。

老人ホームではなく、年寄り家族でもない、もっと三世代以上にわたるコミュニティの可能性はないのでしょうか?

私がそう尋ねるのは近頃の家族が、こころのケアを満たしていないと思うからである。

家族ということの一番の存在意義は、経済的にも、精神的にも守られているということである。本来のそうあるべき機能を現在の家族は果たしていないように思うのです。

だからといって家族とは、社会規範を教えるべき基礎集団だとしか考えるわけではありません。以前の大家族の世代では、そのような意味合いも含まれていましたが、今では親自身が社会規範など持たず、そのような社会人としてのルールさえも教えられていないのが実態なのではないでしょうか?

何も難しいことを言っているわけではなく、「相手にしていることが、もし自分にされたらどうだろうか?」 というちょっと想像するだけのこころのゆとりがあるのだろうかということです。

その時代の社会規範などというものは、絶対的なものではなく、他律的に押し付けられたものでしかありません。それぞれの利害が一致しないために一定のルールをつくってさも平等であるかのような体裁をつくろってきているのです。

自分の生活中心で、自分の利害を優先することしか考えられないという人間社会が基礎となっているからこそ、社会規範が必要であるということです。

言い換えれば、社会という人間関係の枠組みそのものが、個人として生き残るために必要な知識を得るという目的のもとにあるわけです。私たちは人間である前に、動物であるといった前提のもとに生きています。

この現実を考える時、家族は、つねに利害関係の基礎単位であったわけです。この家族制度を核として、地域社会、国家が存在するようになります。世の中の国家間の対立の一番基底にあるものはこの家族ではなかったでしょうか?

一方で家族というものはその中で子供を育てるのになくてはならない役割を担ってきました。特に子供の情操を育てるには母親的な信頼関係を結ぶ絆がそこにしっかりと根付いていなくてはなりません。

家族とは、そのなかで守られながら、自分自身の自発性を尊重し、自己表現力を培うものであるのが第一と考えています。

残念ながら、個人を守るべき家族の役割が、近年特に果たされなくなってきていると思うのは私だけではないでしょう。

その家族としてその一員である子供を育み、そして守り続けるという機能を失いつつある今、もっと違うコミュニティ形態が模索されてもいいのではないでしょうか?

それは家族という血縁集団を超えて慈愛に満ちた人間関係の核となるような集団形成の可能性がそこにはあるのではないかと思うのです。

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