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2010年1月22日 (金)

自由(6)

仮説3

神の分身である人間は生まれながらにして自由である。

しかし、その自由を阻む幾つかの要因がある。

1つは、個人として過去生の叶えられなかった願望があるということ。

私たちは、生まれ変わりを信じて、あたかも個人が前世でやり残したことがあるような事を言っている。部分的にそれは正しい。なぜなら、それは過去のやろうとしてやり遂げられなかったこと。目標をたてて、叶えようとして叶わなかった夢のやり直しを次の人生でやり直そうとするのは自然なことだからである。

一方でこの考えは、それでは、人生は何度でもあり、その欲求の続く限り人生を続けられるということになる。

多くの人たちは、この輪廻する世界にいつまでも浸っていたいと思うのかもしれない。しかし、それでも私たちは一度でも、不幸な出来事な出くわした時、こんなつらい人生ならもう終わりにしたいと思ったことはないのだろうか?

しかし、個人に潜在的に潜んでいる欲求とは根深いものがある。それは叶えられなかったからこそ執着の炎となって燃え盛るのである。

あなた自身の欲求が何であるかを知り、この世界で満たせるものであれば最後まで見届け、中途半端にやらないこと。或いはそれを満たすことばかりにかまけるのではなく、無意識の欲求に気づくことによってその欲求から自由になること。

あなたではないもの、それは生物学的な欲求であったり、誰か他の人の霊の影響や支配であったり、自分の心のコントロールできない暗闇に潜む欲求であったりする。

あなたは、本来は光で満たされた存在の一部であり、そのことが見えなくなったために、多くの誘惑があなたを自分自身から遠ざけてしまうのだ。

同じ事を何度も繰り返してしまっている、この馬鹿らしさに私たちは一体いつになったら気づくのだろうか? 

残念ながら、私たちは同じ過ちを繰り返して来ている。それはすんなりと自我の欲求というものを昇華できないからに他ならない。さらに自分の中には背反する欲求が渦巻き、対立している。

あなたは、あなた自身が相反する欲求の波に呑まれてしまっている状況で、そこから動けないで居るのではないだろうか?

それは決して自由であるとは言いがたい。

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