« 自由(3) | トップページ | 自由(5) »

2010年1月 9日 (土)

自由(4)

生活能力がない人は、自分のことを責めたりしがちである。だからといって、その人に生きる価値がないというのではない。そのひとも、誰かのために支えとなって生きられるのであり、私たちはみんな支えあって生かされているのである。その現実に気づくことが唯一生まれてきたことの意味であるように思えるのである。

私たちは何かを成し遂げることで価値があり、偉くなれるのではない。そこに居るということ、その生まれてきた存在としての自分や「あなた」そのものに価値があるのであるということを、もっと理解していかなければならないのだ。

何もしなくても値打ちがある? 

このことはわかりにくいが、人はそれぞれが独立して存在しているのではない。お互いに影響しあって生を営んでいる。さらに言えば目にみえないことも関係して世界は動いているのだ。この個人と組織との有機的、またはそれ以上の関係に目を向けないと、個人のみを取り出してみると、過大評価したり過小評価になったりする。

私たちは、ひとり一人が貴重で大切な存在、尊い、かけがえのない存在であるのにも関わらず、目立つ誰かのみを、有名な誰かを英雄に仕立て上げたがる傾向にある。それもあなたの中の支配と権力の欲求の外に現れたものに過ぎない。あなたの中に権力志向、支配指向があってそれが自分のひいきにしている人を神聖化し、彼の人生と自分とを重ね合わせてしまうのだ。もうそんなことはやめて、あなたは自分自身の道を生きたらどうだろう。

誰が他人のしあわせで、たとえそれが我が子供であろうと、彼の人生をもってあなたは満足したがるのだろう。あなたは自分の足で歩き、自分の目で物を見、自分の考えで持って人生を謳歌しなければ生きているとは決して言えないのではないだろうか?

もう他人の人生に自分の分までおんぶさせるのはやめよう。そうしら。周りの人たちひとり一人がとても大切で、かけがえのないものに思えてくるはずである。

ひとは生きる上で誰も平等に尊いのだ。そうでないと思うあなたは、単に権力欲、支配欲に翻弄されているだけなのだ。それこそ不自由の身ではないか。

|

« 自由(3) | トップページ | 自由(5) »

随想録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/483880/32922088

この記事へのトラックバック一覧です: 自由(4):

« 自由(3) | トップページ | 自由(5) »