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2010年1月 3日 (日)

自由(3)

今年も和尚ブログ、よろしくお願い致します。

2010年、さらに意識の目覚めの輪が拡がりますように‥

自由(3)

社会の仕組みは、弱肉強食であり、人間も動物の性を基盤にしている限りその例に漏れない。それを知った上で、国家とは何か、社会とは何かがひとり一人の内面に問われなければならないのではないだろうか?

こっちの政党が駄目だったから、今度はあっちの政党にする、といった安易な私たちの傾向をもっと理解する必要がある。

私たちは、私たちのために何かをしてくれる政治家や、親など誰かに頼ろうとする。なぜ頼ろうとするのか、自分の何を満足させたくて人を頼るのだろうか?

あなたの願望を利用するのが政治家の役割だといっていい。しかし、政治家は決してあなたの望みを満たしてくれるわけではない。

裕福な生活がしたいのだろうか、精神的に満たされたいのだろうか。

相手に頼るのは自分が奴隷になりたいということであり、自分は無力であるということを証明することだ。ならば自分は本当に無力なのだろうか? なぜあなたはそこまで奴隷でいたいのだろうか?

実のところ誰も自分の行動の結果に責任をとりたくないのだ。あなたが自分の行動のひとつひとつに責任を取れるようになれば、それだけ自由度が拡がる。私たちは、個人としての自由と引き換えに束縛される道を選んできた。なぜなら、その方が楽だからだ。楽して人生を楽しみたい、そんな甘えが私たちの根底に潜んではいないだろうか?

私たちは人に何かをしてもらいたくてその代わりに自分の自由を与えてしまった。この代償は大きい。色々な意味合いで身体の自由、心の自由、そして魂の自由さえ奪われてしまった私たちは、外部から押し付けられるがままの人生にみずから甘んじてしまってきたのである。これは意識レベルの低い状態では問題とはならなかった。

自由を意識しだした人たちは、この世界の不完全さに気づくようになる。なぜなら、意識の発達しつつある個人にとって、この世界は苦痛以外の何物でもないからである。その苦痛は自由への渇望の度合いに応じて増していく‥。人生はより自由を求める者にとっては決して楽しくない。いや、この世界が楽しくないのかも‥。

ひとたび苦しみから自由になれば、人は真に自由になるのだ‥(和尚)

和尚によれば生とは祝祭だ。そこには遊び心も必要である。自分の生を楽しむためには少なくとも何ものにも縛られないこころ、すなわち「自由」を感じることが前提である。

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