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2009年10月

2009年10月30日 (金)

自己への道程(2)

人間は目標を立てて何かをするという知的な生き物です。しかし、目標を立てる前に、自分はどうしてここに生きている、生かされているのか立ち止まってみる必要があると思います。なぜなら何を目標とするにも、その前にその目標が自分にとってどういう意義を持つのか見つめることも大切だと思うからです。

しかし、ひとはそんなことを考える必要もないくらい、実際に自分にとって有意義となりそうな環境をおのづと作り出しているものと思われます。それは物事は偶然ではなく、ひとつの機会として与えられているからだと私は思うからです。

その機会を自分自身を生かすために使うも押し殺すために使うもそのときの自分自身にかかっています。

だからこそ、自分が今、置かれている状況に気づくことが大事であり、そこから自分は何を学び、何を学習しなければならないのかを考える習慣が身につくのだと思います。

そのためには、ひとつの見方として、輪廻の、生まれ変わりの考え方を肯定しなければ、よく見えてこないところが多いのではないでしょうか?

 自分の人生が何度もあるという考え方は、対人関係においても大きく影響します。

自分に偶然関わってくる人たちの意味が少しずつわかるようになってきます。自分に関わる人たちは、誰一人として偶然はないと言われたりしますが、偶然が偶然でなくなるには、私たちひとり一人の自己洞察力が必要です。今の自分に関わりあう縁があるということは、自分の中の何かがその縁を惹き起こしているといえるからです。

 

結局、ひとは、そのひとの自己洞察力に応じて、人と出会い、関わりあいを持つということが言えると思いますが、その縁ある機会が実を結ぶものにするかどうかは、くどいようですが自分自身にかかっています。

つまり、自分自身への気づきが問題なのです。

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2009年10月23日 (金)

自己への道程(1)

生は永遠に滅びることのない顕現だ(和尚)

人生はひとつではなく、私たちは幾つもの人生を味わってきた。これまでも、そしてこれからも‥

ただ、前世はかけがえのない一つの生であり、来世もまたかけがえのない一つの生である。そして、それは、自分の生を新鮮にする。

輪廻を否定する人たちにとって、良い事があります。

それは、この生が一回きりであり、過去や未来への影響を考えなくてよいということです。

ある意味で、このひとつひとつの生がつながっていないということは

    その新鮮さにおいて、かけがえのない体験ができるということ

    それぞれの生が独自性をもっており、その個性は一回限りのものであるということ

輪廻を否定する人たちにとって、良くない事もあります。

自分の生は一回きりなのだから

     どんなに悪いこと、ひとの嫌がることをしても、自分の死を以って裁かれる以外に責任をとるということはないということ

     いつまでも若くありたいと願うあまりに、歳を重ねることにおびえてしまうということ。

     世の中に対する執着、特に権力欲、そこから派生する物欲、支配欲(所有欲)異性欲などへのこだわりから、自分の死に対しての恐怖と病気といった未来に対する不安が絶えずつきまとうこと

     人生のその節々の瞬間を真に楽しめないということ、好奇心によるあらゆる冒険を躊躇してしまうということ

     人生は一回きりなのだから、すべきことがたくさんあり、健康な体であり続ける間に色々なことを経験したい。そして、何かすることに対してあわただしくなってしまうということ

輪廻を否定することは、その利点よりも、弊害のほうが多いと思われます。それなのになぜ人は自分の人生に対して、深く考えないのでしょうか?

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2009年10月14日 (水)

大空への旅路(7)

大空への旅路(7)

ひとは、自身が

空っぽのスクリーンに至るまでは

誰もが自分の足で

歩まなければならないという

厳しい現実に突きつけられている

近道はない

だからこそ、

疲れたら

ふと立ち止まって

そらを見上げよう

雲のずっと奥底に

自分の帰るべき場所がある

本来のあなたが

いつもそこにいる

そらをみて

自分の内なる大空を思い起こそう

和尚は云う

「雲ひとつない内なる空から眺めると、

世界は隅々まで神性の光に満ちている」

太字「シャワリング ウイズアウト クラウズ:OSHO市民出版社」より

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2009年10月10日 (土)

大空への旅路(6)

問題はあなたの捉え方だ。

澄んだ目、空っぽの思考、そして空っぽの形こそが、

形なきものと関わることができる。

形なきもの、その暗喩として

大空がある。大空は形などない

そこには執着するなにものもない。

わたしたちは光と影の織りなすこの世界で

マインドと思考の共同作業によって

楽しいことも幸せなことも味わってきたが、

同時にふしあわせなこと、つらいことや悲しいことも

たくさん作ってきた。

それは形あるこの世界にいる限り

仕方のないことであると

私はそう思うまでに

かなりの時間を要した。

この世界は光と影の織りなす遊びの世界

それに惑わされて、それに深刻になり

それに執着し、変わっていくものに対して

変わらないで欲しいと、苦しみばかりをつくってきた。

この世界は絶えず

移り変わっていく世界。

そのことを忘れかけたとき

不幸の始まりがある。

だから、大空に恋焦がれるのは

いいことだ。

正確には大空に恋焦がれるのではなく

大空という自分自身の生まれ故郷に

深い憧憬と、感謝を抱きながら

大空に祈りをささげようという気持ちになる。

もう一度いわせてもらおう。

大空は私たちの生まれ故郷であり、

永遠の泉なのだ。

それは幾多の雲を作りだし、そして消滅していく

ひとつのフィールド、

和尚によれば空っぽのスクリーンだ。

太字「シャワリング ウイズアウト クラウズ:OSHO市民出版社」より

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2009年10月 3日 (土)

大空への旅路(5)

 思考活動は自分を盲目にする。

空に浮かぶ雲の形や色があまりにもきれいなものだから、

それを写真に撮り忘れて、その雲にまたもう一度出会いたいと思う。

けれど、その形の雲は二度とやってこなかった。

その雲の光景が世界に現れるものも同様に一度きりである。

あなたの個性、あなたの顔かたち、その雰囲気までが

ぴったりというような人は二度と生まれることがない。

だからこそ、この世界で学ぶ大切なことのひとつに

それぞれみんな、一度きりの体験を積んできているということなのだ。

だから、毎日が同じではないし、

毎日起きることも、決して同じことの繰り返しでもない。

そのことを忘れて、私たちは、日々の決められた習慣や

スケジュールに追われて生きている。

その思考パターンも同じに凝り固まってしまっている。

毎日の繰り返しの生活パターンの中では

違うものの見方ができなくなってきているのだ。

それも思考

和尚は思考を落としなさいと云っている。

私たちの思考が俗世間をつくっていると

言い切ってもいいのではないだろうか。

思考活動はあなたを盲目にしてきた。

何かに対する執着も

思考活動の結果に他ならなかった。

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