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2009年8月 8日 (土)

富の不公平

日本だけの話ではないが、国家は権力を握っている人と、富をたくさん得ている人たちの少数派で政治活動の殆どを支配している。

資本主義社会なのだから、そんなことは当たり前だろ、と言われそうだが‥

ならば何故、そんな権力者や一部の金持ちの人たちに加担するようなことを国民の多くはしてきているのだろう。

国民の多くは、自分が中流意識をもっている。戦後の復興途上の日本ならそうかもしれないが、今は、金持ちはもっと貪欲に富や名声を求め、貧乏人はさらに必要最小限の医療や教育を受けられなくなっている。そもそも、働きたくても働かせてもらえない人たちにとって生活の手段が奪われてしまっているこの現状に政治家はあまりにも無頓着である。

それというのも、未だに中流意識の強い国民が多いから、この現状をなかなか変えることはできないのかもしれない。

 

政治家たちは、すぎた尊敬を求めるべきじゃない。

かつての王様や皇帝たちは、乞食のところへ自分たちの敬意を表しに行ったのだという。

お金のある人は、お金のない人たちのところへ頭を下げに行くという風習があったというのである。

そもそも、金持ちは一部の乞食の存在によって金持ちなのであって、そこには幾ばくかの乞食に対する布施があって当たり前なのではないだろうか?

今の社会のおかしいところは、お金持ちはさらに富を得て、それを一人占めにしようとし、権力者は、国をうまく統治できなくても、それにずっとしがみついて離れようとしない。自分が置かれている状況をみようとしないのである。

和尚は述べている。

もしひとつの国で、政治家があまりにもエゴイスティックになり、彼らがすぎた尊敬を求めたりすれば、やがて軽蔑が忍び込んで来るだろう。やがてそこには謀叛が起こるだろう。やがてそこには革命が起こるだろう。やがて何もかも破壊されてしまうだろう。あらゆる道徳規範、尊敬、礼儀がぶち壊されてしまうだろう。

私たちの多くは日々の生活に困っていない。その困っていないことが、権力者に媚を売り、金持ちになろうとして躍起になっている。それは自分たちが同じ権力志向の持ち主であることを証明している。

本当に日々の生活に困っている者は、そのときはただ、毎日が満足に食べていければそれで満足です、と思っている。しかし、一旦その生活が叶えられると、今度は車が欲しい、海外旅行に行きたい、新しい家が欲しい、もっと贅沢で便利な暮しがしたい‥ と思い続けて欲望に際限がなくなってしまう。

それがいいとか悪いとかではなく、そうした人間の欲望の傾向をまず理解することである。そして、今の生活で満足していることが一つでもあったらそれに感謝することを忘れてはならない。感謝を忘れては、ひとはエゴイスティクになり、身の程を過ぎてしまうことになる。

国の格差のこの行き過ぎた傾向を止めるのも進めるのもあなた次第だ。自分の中流意識からその行き過ぎた欲望の渦に呑まれてしまったのなら、その先は国家の滅亡か衰退が待っている。

今、ひとりひとりがもっと謙虚にならないといけない。この日本をこの先もずっと繁栄させいのならもっと謙虚になろう。そう思わなければそれでも良し。自然はいつも不自然な状態を決して続けさせてはくれないのだから‥。

太字「TAO老子の道:OSHO」めるくまーる社刊より引用

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