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2009年7月

2009年7月25日 (土)

無力(1)

誰かの助けになりたいと思うとき、いつも挫折してしまう。

なぜ私は身近な人々、相手の苦しみから救い出すことができないのだろうか?

この自分自身の無力だと感じることは、自分が自身を悟っていないからだということはもちろんであるが、少なくとも自分の考えによって相手をその苦しみから救うことはできないという絶望がそこにはある。

自分の考えることなどよく考えたら、人を救うだけの力などないのではないか。そう思えて仕方がないのである。そしてそれは真実でもあるのだ。

人の価値観などというものは、簡単に否定してしまえばそれまでなのであるが、

しかし、ひとそれぞれ自分が培ってきた価値観というものは、両親や祖父母、地域社会や国家、その文化圏など色々と影響を受けてきたものであるだけに、そう簡単に自分の価値観を手放すということはできない。

そもそもなぜ自分の価値観を捨てる必要があるのだろう?などと思われる。

私はこう考えます、という「価値観」、その背景には実に多くの人の意見が入り混じっている。

自分に苦しみがあるとき、それは自分の価値観の何かが間違っているということであり、それに気づくすべもない。

一方で、特定の価値基準に従っているからこそ、まともに、自分というものを保っていられるのだ。

 誰でもひとは何らかの価値観にしがみつかざるを得ないし、そうでないと、社会生活などしてゆけないのだ。それだけ人は自分の価値観(たとえそれが無意識にせよ)にしがみついて、自分自身を保っているし、自信の裏づけにもなっている。しかし、それは偽りの自信でしかない。そこでは絶えず自分と同じ価値観を持つ人から認めてもらえなければその自信も崩れ去ってしまうのだ。

しかし、自分の価値観などというものはない。それは幻想に過ぎない。せいぜい社会生活を送るに便利な思考体系だと思ったほうがいい。

そもそも、自然は人の考えることなどそんなちっぽけな思考体系を相手にしない。

人がいくら考えたって真理には程遠いのだ。そのことを相手の苦しみから自分の価値観で救うことができないことをいやというほど知らされてきている。

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2009年7月18日 (土)

野心(2)

 もし社会の根幹を見たら、不正というものは私たちの条件付け、教育、しつけが自然に成長したものであることを知るだろう。

 野望が腐敗を招く。野心的なマインドは、腐敗する運命だ。野心こそが狂気の種だ。それなのに、すべての教育が野心志向であるとは! 

あなたの父親は言う、「名のある人になりなさい!」と。そうやって野望は作り出されーあなたは病気になってしまう。

太字-「グレートチャレンジ 和尚:市民出版社より」

 野心とは、いわゆる世の中の重要な職業、人気の職業に競争で勝ち抜こうとしている人たちのこと。自分でその職業に就きたいと自発的に望んだ場合はそれだけで野心家とはいえない。

問題は親が子供にその職業に就くことを強く希望し、または過剰な期待から子供の意思を尊重せず心理的に支配している場合が問題となる。また、受験勉強に勝ち抜いて、他の同世代の人たちより抜きん出たいと思うように教育されることが問題なのである。それがなぜ悪いと言う人もいると思うが、一体何を比較して他の人より優れようとしているのだろうか? 

そのひとの持ち味は、社会のなかでどんな職業に就くかということが大事なのではない。どんな職業に就こうとも、そこでいかに自分らしく生きているかが問われるのである。自分らしくあることが強いてはそのひとの潜在する能力を開花させ、周りの人たちをも豊かにしていくのである。

自然があなたに授けた特性をあますことなく表現できる、またそれを可能にする社会づくりが望まれる。そのために、あらゆるルールは、お互いの自由を侵害しないためのものであったはずが、いつしか一部の権力者のための都合の良い手段になってしまった。その根底にあめものは、他人を支配したい、という根強い願望である。野心家は、それを自分の夢の実現のためにという、ベールで覆い隠そうとする。

人々それぞれが自分の野心のために活動すればするほど、世の中は住みにくくなってしまう。野心家の根底には、人を自分の支配下に置きたいという権力志向がある。

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2009年7月10日 (金)

野心(1)

私たちの社会は私たちの人間の道徳レベルの総体で作られている。だから、私は社会に起きているさまざまな事件には無関心ではいられない。

子供の頃、社会は正しい組織で運営されているものだと思っていた。

私たちは、必然的に腐敗が起こるような社会を作り出してしまった。というのも、社会のまさに根本が腐敗しているからだ。

 

社会のまさにその基本を変えない限り、必ず腐敗にいきつく。これまでずっとそうだった。

社会の形態は変わっても、腐敗の構造はそのままだ。なぜなら私たちは、いまだに腐敗不可能な社会を作り出してはいないからだ。

和尚は、この社会を作り出す基礎となっている教育体系が野心志向であること、野心を抱かざるを得ない社会が腐敗する運命にあることを言っている。これは国家の支持政党を変えたらいいという小手先の対策だけでは問題は解決しないことを物語っている。

動機なき不特定殺人が増えたり、家庭内殺人が増えていたり、精神疾患患者が増えたりしているのも、それだけ世の中が腐敗しており、より病的な社会が進行していることの現れである。

そして、このことは、ニュースでの出来事などではなく、いつ身近に起きてもおかしくない自分自身のこととして受け止めねばならないのだ。そのことの自覚が私たちにはまだ欠けているように思えてならない。

太字-「グレートチャレンジ 和尚:市民出版社より抜粋」

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2009年7月 4日 (土)

権力志向

 私たちの多くは権力志向である。

なにも権力者に成りたい人だけが権力志向なのではない。というのも、肩書きや権威に弱い人たちも権力者に媚を売っている点では同様であるということだ。

著名人や有名人というだけで、好感を持ったり支持したりするのが良い例である。

元芸能人を政治家に持ち上げようとする国民感情とはとんなものなのだろう。

農耕民族である日本人は、あまり変革を好まない。自民党政権が今まで与党として続いてきたのは国民の保守的な心理傾向が強かったのだろうと思う。

しかし、政治家に成りたがっているタレントになぜ人々は弱いのだろう。なぜ応援してしまうのか。

 真の民主主義は権力国家のもとでは決して成り立たない。私たちは自分たちの手で何かをしなければならない時でも、他の誰かが、頼りになる誰かが「自分たちのためになにかしてくれるだろう」と思い込んでいる。そしてこの他人任せな姿勢がよこしまな権力者を排出し、のさばらせてしまっている。形だけの民主主義の中で国民一人一人が意識を高めないといけない。そうでなければ、この日本国家は衰退の一途をたどってしまうだろう。

政治家の多くは世襲議員でありお金に関してはなに不自由なく育ってきたはずである。そんな人たちに子供の教育を満足にできない親や、介護が困難な見捨てられた老人たち、不景気だといって真っ先に切り捨てられる労働者たちなど、弱者の悲痛な叫びなど果たして理解できるものだろうか? 自分が経験しないことに関しては想像力さえも持ちえない傾向の現代人にあって、政治家はそんな弱者の痛みなど表面的に理解しているだけなのだと思う。テレビなどで自己主張し、パフォーマンスを演じている愚か者は、単に権力者に自分を売り込み、自分も権力者になって自分勝手な自由の世界を思い描いているだけではないのか。

権力を得ようとする者は、それなりの知名度と資金力が必要である。世襲議員は家の資産があり、芸能人には知名度がある。そういう人たちばかりの集まりは、弱者たちの世界観とはまた別次元のユートピアを描いているものだ。格差社会が言われているが、これではますます格差が拡がっていくばかりであると思えるのは私だけであろうか?

あなたはテレビ画面に映る有名人の姿だけを信じて、このひとは良い人だなどとほざいているのか。その人のことを知るには付き合ってみないとわからない。そういうことを考えたこともないのだろうか。他人を評価する見方が表面的な人は、自分自身について掘り下げて考えたこともないのだろう。そういう愚か者の集団であっては、世の中住みにくくなるばかりである。

政治家は、自分を基準にした、自分の描くユートピアの実現のために、法律を変え、自分とよく似た考えの持ち主とけったくする。その人たちも当然お金に困ったことなどないはずである。そして彼らは国民のためといいながら、結局は自分たちの野望と貪欲さのために弱者を犠牲にするのである。

もし、まともな政治家を選ぶのであれば、弱者上がりの人を選ぶことをお勧めする。残念ながら、そのような政治家は少ないし、実際にあまりよく知られていない。そして人気のない政治家ほど、人は疑い、投票などしないのである。

弱者の中からこそ政治家を排出するべきである。そうならない現在の国家の仕組みは、この先も弱者と強い者、勝ち組と負け組を作り続け、ともに共生し、富のバランスのとれた世界はいつまでたってもやってこないだろう。

こんなときこそ、政党を超えて協力しあわなければならないのに、お互いのあげ足を取って批難し合うくだらない政治家のどんなに多いことか。ましてやその人たちが閣僚だったりすると事は深刻です。そんな連中を選んだのは他でもない、私たちなのだ。

「いいえ、私は、俺は誰も選んでなんかないそ゛」という人たち、そう云う君は選ばないことによって、今日の社会情勢に力を貸し、今の政治を認めてしまっていることに他ならない。そのことに早く気づけよ!

国民ひとりひとりの自覚が根本から変わらないといけない。

どうか良識のある人間でいようではないか。

非難ばかりしているあなたたち、他人の批難をする前に、そういう自分はどうなのか?

もっと自分自身と向き合ってほしい。

自分自身と向き合う者だけが、美しく成長できるのだから‥。

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