日本人と自我(5)
感情に流されやすい日本人(3)
日本人の多くは自分の意見というものを持っていない。こういうと、叱られるかもしれないが、実はこれは日本人に限ったわけではなく、日本人にはその傾向が強いというだけである。わたしが云う「自分の意見」という意味はあなたが自分の体験から学んだ事柄を自分の中で消化したものをいう。
私たちは、「自分の意見」というとき、それは本当に自分の意見だといいきれるのだろうか?
人の意見を聞いて自分が納得すれば、それは自分の意見となる。しかしそれは、結局は他人の意見でしかないことが多い。なぜなら、それらは単なる言葉遊びで終わってしまうからだ。仮に人の意見に納得したとしても、それを自分の都合の良いように、または自分の理解の範囲内でしか理解できないことが殆どである。そういう単なる思考遊びについては議論するのも無駄だし、またどうでもいいことだ。
私が言う「自分の意見」とは、それが自分の体験から自分なりのつたない言葉で表現されたものをいう。いろんな考え方が飛び交う中で、それらに賛同することも否定することも、どちらも間違っている。それらは単に他人の意見を良くも悪くも反映したものにほかならず、それはたんなる反応であって、自分の中から導き出された「自分の意見」ではないからだ。
くどいようだが、「自分の意見」とは自分の体験から導き出され、自発的にまとめられた思考をいう。それ以外は人の意見に色をつけた思考の言葉遊びに過ぎない。
自分の意見を持つことの大切さとは、その意見が自分自身を変えた結果から生まれるものだからだ。この誤解を解かない限り、人は絶えず「自分の意見」という自我の優越感のもとに、人と比較したがることをやめない。
「自分の意見」は決して人に賛同を得ようとか思ったりしない。自分自身がこころの底から思えばよいのであって、だからこそ、それは自分を変える力となる。
それが「自分の意見」かどうかは、
それによって自分自身が少しでも変わったかどうかが目印であり、指標になる。
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